昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件

2015.04.27 Monday 03:00
くっくり



 次に衣食住の「衣」について。

 昭和天皇は戦前は軍服を着ておられたので、昭和10年頃から背広を新調されていませんでした。

 そのため終戦後は、10年以上前に作った背広を着て、昭和22年の夏の東北の御巡幸では、かぎ裂きを繕っていたのが出てくる始末でした。

 侍従が、「ぜひご新調になるように。アメリカ人なんかも見ておりますから」と上奏したところ、昭和天皇はこう仰せになりました。

「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだからいい物を着たって当たり前だが、日本は負けて、今みんな着るものも無くて困っているじゃあないか。洋服なんか作る気になれない」

 侍従は食い下がりました。
「あんなに古い洋服を着ておられては、我々の肩身が狭くて困るのです」

 すると昭和天皇も折れられて、「そんなに言うなら、少し作ろう」とお答えになりました。

 こうして作った2、3着の背広を非常に大切にされ、晴れがましい客に会うときに着るようにされたそうです。

 しかし客との会見が済んで部屋に戻ったら、早くも上着を脱いでしまわれるのです。

 これは国民の肩身を狭くしないために作った洋服だから、そういう時のために綺麗にとっておかなくてはというお気持ちだったそうです。

image[110501-03shouwa2.jpg]

 「食」に関しては、今回資料を見つけることができませんでした。

 が、「衣」「住」に対する昭和天皇のご姿勢を見れば、「食」も非常に質素なものだったことは間違いないでしょう。

 こんなエピソードも残されています。

【昭和天皇は生涯にわたって、ご自分が行なわれたことを自慢されたことなど、一度もなかった。また、終生にわたって名誉や栄誉を求められたことも、まったくなかった。ご自分についてはじつに無欲な方だった。
 天皇は敗戦の年の昭和20年12月に、松村謙三農林大臣を皇居に呼ばれてこういわれた。
「戦争で塗炭(とたん)の苦しみを受けた国民に、このうえ餓死者を出すことは自分には耐え難い。政府が要請をしたのにもかかわらず、アメリカは食糧を与えてくれないという。だが、考えれば、当方に代償として提供すべき何物もないのだから、いたしかたがあるまい。

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