「慰安婦の補償を日本に求めない。自分で解決する」と言った韓国のプライドはどこへ?

2015.04.24 Friday 19:01
くっくり


image[150424-01kohno.jpg]

 朝日新聞など“日本側の提起”でつくられた慰安婦問題は、1991年頃から日韓の外交問題に発展しました。

 日本政府は1993年8月4日の河野洋平官房長官談話で、証拠が一切見つかっていないのに慰安婦募集の強制性を認めてしまいました。

 なぜ日本側は根拠のないまま強制性に踏み込んだのか。
 河野洋平が反日だからと言ってしまうのは簡単ですが、もちろん理由はそれだけではなく…。

 日本側は韓国側の善意を信じました。
 でもその善意は見事に裏切られました。
 但し、韓国側も最初から騙す気でいたのではないようです。
 少なくとも補償については自分たちで解決すると明言していました。

 産経新聞の阿比留瑠比さんが、同紙のコラム2015年2月19日WILL2015年5月号image[]で、大統領をはじめ韓国側の要人の発言を紹介しながら、河野談話作成に至るまでの経緯を解説しています。

image[130405-16yonnsam.jpg]

 それによれば、河野談話の出発点は、1993年3月、就任して間もない韓国の金泳三大統領(在位1993-98年)が慰安婦問題でこう表明したことにありました。

「物質的な補償を日本側に要求しない。真相究明が重要であり、被害者に対しては、韓国政府が補償する」

 韓国外務省アジア局長は、大統領の発言意図について、日韓基本条約で両国間の請求権問題が解決したとの立場から、「韓国政府レベルで日本側に補償を求めないという意味だ」と説明しました(朝日新聞同年3月18日朝刊)。

 産経新聞が入手した当時の政府文書を見ても、同月、韓国外務省の幹部は日本側にこう語っていたそうです。

「大統領の個人的な思いつきではなく、これまでに提示されてきている案の中から、青瓦台(大統領府)でその一つを取り上げたものだ。1965年の請求権協定についての法律論とは離れても、いわゆる過去史に関連する問題が提起されるたびに日本側に何らかの補償を求めるという姿勢は慎むべし、との趣旨が中心の発言で、勇気ある発言だった」

[7] beginning... [9] >>
comments (4)
trackbacks (0)


<< 翁長知事在任中に琉球独立への大きな潮流を…沖縄に着々と手を伸ばす中共! 青山繁晴「インサイト・コラム」(付:官邸ドローン)
昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]