朝鮮に尽くした伊藤博文と今も変わらない朝鮮人の気質 「1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO」より

2015.04.20 Monday 01:55
くっくり



【統監は、朝鮮への援助は彼の良心と愛情に基づくもので、朝鮮人自身にとって望ましい良い結果をもたらすことができるならば批判や抵抗などは全く気にしない、ということを何度も繰り返し主張した。】

【統監に近づく任を果たした紳士達は―統監と何らかの親しい関係を築く者は誰でもそうだが―彼の朝鮮の人々に対する全く誠実な目的と、諸外国の利益に対する率直で公正な方針に気づかされるのであった。】

 伊藤はラッド博士を完全に独立した立場に置くと約束し、それは厳密に守られました。

 ラッド博士は、伊藤との最初の面談でも、朝鮮滞在中のその後すべての面談でも、「自分の計画について批評や改善の提案をしてくれることを毎回要求」しましたが、伊藤はいつもそれを断りました。

 後にラッド博士が、面談にいつも居合わせる唯一の第三者(通訳?)にそのことを言うと、その第三者は「それは(伊藤)侯爵の習慣で、侯爵が誰かを信頼する時は、その人を完全に信頼するのです」と答えたそうです。

 伊藤がどれほどラッド博士を信頼していたかが分かる話です。
 ラッド博士もそれにできうる限り、応えようとしました。

 しかし、当時の朝鮮はこういう状況でした。

【平和的な処置により朝鮮国民の経済と教育事情を改善するという彼の計画は、自分勝手な利益を推進する外国人のみならず、あらゆる利他的な方法で協力すべき者達によっても、誤解され邪魔されていることは明らかであった。これらの“反日”外国人は様々な国籍を持っていたが(外交官や実業家に関する限りは)、ほとんどの宣教師達は私の同胞であった。】

 編者のまえがきが、そのあたりを上手くまとめてくれています。

 本書が著された当時、朝鮮半島は日韓二カ国間にとどまらず欧米を巻き込んだ情報工作や、反日報道の数々、権益を貪る外国人の活動、宮廷や政治家を巡る暗殺や謀略などにより混迷していた。

 何より最も長期間にわたって伊藤と日本を苦しめたのは、日本による詐欺や暴力が行われたとする激しい非難だった。ラッド博士は、これについて一つの章を割き(第16章『間違い:現実のものと架空のもの』)自身の検証を記している。すなわち、日本人が韓国人に対して残虐な行為を働いた事例は確かに存在したが、決して頻繁でなかったことが調査で判明している。非難の多くは、根も葉もない噂や、悪意に満ちた嘘、詐欺、陰謀、利権に絡んだねつ造などであった。何より大きかったのは、特定の外国人達(朝鮮にとっての“外国の友人”と一部の宣教師達)による偏見と悪意に満ちた虚偽の報告である、という。

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