朝日新聞の捏造・放火の歴史
2006.10.14 Saturday 03:03
くっくり
その後、朝日は「読者と朝日新聞」というコーナーで読者の疑問に答える形で小さく「侵略→進出今回はなし」などと記す。その中で、外交問題に発展したのは検定制度を行う政府にあるかのような責任転化をした。
一方、産経新聞は誤報だと判明後、それを素直に認め大々的に謝罪し、誤報の経路を綿密に読者に報告し、詫びた。朝日はこの大誤報事件について、今なお釈明も謝罪も行っていない。
●1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造
生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
●1984.10.31 毒ガス戦を捏造
煙がもうもうと立ち上る写真を一面三段抜きに掲載し、「これが毒ガス作戦。と元将校。当時の日本軍内部写真を公表」と報道したが、ほどなく、これが写真も取材源もデッチあげであることが、朝日の稲垣武氏や各種報道機関により暴かれた。
●1985.8.7 靖国参拝ご注進報道
1985/8/15、“戦後の総決算”ということで中曽根首相は「公式参拝」をすることになるのだが(これは公約だった)、その少し前から朝日新聞は反靖国キャンペーンを始めた。
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