朝日新聞の捏造・放火の歴史

2006.10.14 Saturday 03:03
くっくり


 朝日新聞の入魂の連載記事とは裏腹に、実際には経済の発展はゼロに等しく、その正体は粛清の嵐が吹き荒れる恐怖の独裁国家でしかなかった。しかも保障された職と生活どころか、明日の食事にさえ事欠く有様で、現在でも慢性的な食料不足と恐怖政治が続いている。


●1967-70 中国政府当局が朝日新聞を除く全ての報道関係者を追放

 文化大革命で狂乱状態にあった中国政府当局は、中国政府提灯記事以外の記事を書くあらゆる報道関係者を「外国反動分子」と決めつけ中国から追放した。

  1967.09 産経、毎日の記者が追放される
  1967.10 読売記者が追放される
  1968.06 日経記者鮫島特派員がスパイ容疑で逮捕・拘留される
  1968.11 滞在期間が切れて帰国したNHK記者が入国不許可に
  1970.09 共同通信特派員が追放される

 北京に駐留している日本マスコミは朝日の記者のみとなった。朝日は唯一の中国特派員をもつ立場を保持するため、あらゆる中国政府当局の捏造加担とおべんちゃらを開始した。


●1971.8.26-11.26 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載

 「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
 後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。


●1975.4.19 残虐なポルポトを「アジア的優しさ」と報道

 和田俊プノンペン特派員(後年、テレ朝「ニュースステーション」に解説者として出演。故人)が、「カンボジア解放側 アジア的優しさを持つ」「粛清の危険は薄い?」という見出しで記事を書いた。当時中国共産党の支援を受けていたカンボジア解放軍のポルポトは、アジア的な優しさどころか、カンボジアの全国民の1/6に相当する300万人以上の民衆を虐殺した。


●1982.9.7 侵略進出書き替え誤報の責任転嫁コラムを掲載

 朝日新聞を含め多くのマスコミが、高校教科書の「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。ところが、その後、関係者の調査によりこれが全くの事実無根と判明。

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