阪神淡路大震災20年 両陛下の行幸啓がもたらした復興への力

2015.01.17 Saturday 03:10
くっくり


 「ごめ〜ん。お母さん、今日マンドリンの日やから会館へ出かけたんやけど、3人しか来てへんかってな。練習中止になってん。ほんで今さっき帰ってきたんよ〜。せっかく行ったのに、ホンマ、まいるわぁ…」
 「………そうですか………(まいるのはこっちやねん…ったくこの母だけは…(^_^;))」
 当時、母は市が主催するマンドリン教室に通っていたのだ。大阪より震度の大きかった奈良に住む母がこののん気さ加減…。震度って当てにならんなぁと思った。
 幸い私の友人・知人に死者は出なかったが、家を失い避難所暮らしが続いた人がたくさんいた。大阪市在住の私ですら、死の恐怖を感じたのだ。彼らの心中は察するに余りあった。
 今回の地震ですごさを実感したのは知人のA君の話である。彼は神戸市東灘区に住んでいたのだが、幸運なことに家はさほど被害を受けなかった。ただ、部屋を片づけていた彼はあることに気づいてびっくりしたそうだ。シャーペンだのボールペンだのが大きなタンスの下にはさまっていた、というのだ。つまり、最初の縦揺れでタンスが宙に浮き、その隙間にシャーペンが転がっていって挟まってしまったのだ。タンスを宙に浮かすほど持ち上げる地震のパワー。高速道路の倒れている映像よりも、この話の方が私にとっては地震に対する恐ろしさの実感があった。
 あれからもう5年。近畿以外の地方ではもう阪神大震災なんて歴史の中の1ページになっているんだろうか?

1995 阪神・淡路大震災

 震災翌日の午後1時のニュース。


 他に覚えていることとしては…

 本震の3日後ぐらいに、夜にお風呂入ってたら、めっちゃ大きな余震が来ましてね。
 はっきり起きている時だったからか、ある意味、本震よりも恐怖を感じました。
 「お風呂で全裸で一人で圧死とかするのん絶対イヤ!早く結婚しよう!」と思ったものです。

 実際に結婚したのはその3年後でした。
 相手はもちろん今の夫です(^^ゞ


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