阪神淡路大震災20年 両陛下の行幸啓がもたらした復興への力

2015.01.17 Saturday 03:10
くっくり


 朝の9時になって会社に電話をした。会社は比較的ハイツの近くにあり、そのせいか通じた。同僚が出た。幸い社内は特に目立った被害はないとのこと。私は毎日昼から出社というローテーションで回っていた。前の日も寝たのは午前2時頃だったので、いったん寝直した。
 ところが、午前10時半頃だったか、大きな余震が来てまた飛び起きた。
 (以下、明日につづく…)

【阪神淡路大震災】1995年1月17日11時頃のニュース

 NHKの午前11時頃のニュース。
 私もこれを見て初めて神戸の惨状を知りました。

2000年1月17日(月)阪神大震災のこと[その2](昨日からのつづき)

 大きな余震でまた飛び起きた私は、今の地震の情報を得ようとテレビをつけた。そしてその時初めて神戸・淡路島方面の惨状を知った。阪神高速が倒れている映像を見ても、最初はとても現実とは思えなかったが、やがて神戸方面に住む同僚や知人の顔がぱっぱっと次々に浮かんだ。
 落ち着かなくなった私は、定時(正午)よりかなり早めに自転車で出社した(ふだんから自転車通勤だった)。そして交通網が遮断されている中、会社に来ることのできたわずかな上司や同僚と協力し、他の社員やバイトの人たちの無事を確認するための電話を入れたが、つながらないところがほとんどだった。
 とりあえず私は実家の両親が心配だった。大阪より実家のある奈良の方が震度が大きかったのだ。奈良方面だから電話も通じるかもと思ったが、全然通じなかった。
 非常時は公衆電話の方が通じやすいと聞き、会社の外の公衆電話から15分に1度程度の割合で繰り返しかけるうち、発信音は出るようになった。やった、通じた!…しかし、誰も電話に出ないのだ!!…私はドキドキした。悪い考えが巡った。
 『ひょっとしてタンスの下敷きにでもなってるのかも…』
 今から奈良に向かおうにも電車が動いているのかどうか…とあれこれ考えながら、しつこく何度も電話をした。すると午後2時頃になって母がようやく出た。
 「あら〜、くっくり。今朝地震あったやろ。びっくりしたなぁ」
 「『びっくりしたなぁ』やないわよ!なんで電話出えへんのよ。何回もかけたのに!」

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