阪神淡路大震災20年 両陛下の行幸啓がもたらした復興への力
2015.01.17 Saturday 03:10
くっくり
ドーンと突き上げるような音と振動で私は目が覚めた。最初何が起こったのか全くわからなかった。縦揺れが横揺れに変わって、部屋の中がぐるぐると回っているような感覚になった。
『地震か…』
私は半分眠っている頭で、この時点ではまだけっこう冷静に考えていた。私が20才頃まで育った和歌山という地方は日頃から地震が多く、震度3程度の地震はしょっちゅうだったせいかもしれない。ところが揺れは長く激しく続く。
私は部屋を真っ暗にして寝るタイプなので、部屋を見回しても何も見えない。ただ、布団の足下に置いてあるカラーボックスが気がかりだった。本やカセットテープを詰め込みすぎて日頃から座りが悪かったのだ。それが案の定倒れてきて、私の足を直撃した。冬で分厚い布団をかけて寝ていたのが幸いして怪我などはしなかったが、もし夏だったらどうだったか。
カラーボックスが倒れたことによって、私はパニックになった。
『これまでの地震と違うぞ。やばいかも!』
私ははっと思い出した。頭のところにはでっかいタンスがあったのだ。これが倒れたらマジでやばい。「いや〜」とか、わけのわからん声を出しながら、私はタンスを両手で必死で押さえた。この時初めて『死ぬかもしれへん』と思った。
そのうち、揺れが止んだ。
『でかい地震やったなぁ。震度5以上はあったんちゃうか…』
私はもそもそと起きあがると電気をつけた。カラーボックス以外に特に倒れた家具もなく、まずは一息。大阪に住んでこんな大きな地震は初めてだ。いや、小さな地震すらほとんど経験がなかった。
NHKをつけて、倒れたカラーボックスを片づけながらニュースに見入った。この時点ではまだ伝えられていなかったが、神戸や淡路島が大変な事態になっていたのは皆さんもご存知だろう。私も後で、被災した知人の話を聞き、あんな程度で『死ぬかも』と思った自分が恥ずかしいような気持ちになった。
だけど朝8時頃まで(と思う)は、NHKも民放も、大阪梅田のビルのクレーンが倒れている映像や、自動車のショールームのガラスが割れた映像なんかを流す程度だった。だから一番被害が大きかったのは大阪市内だと私は思いこんでいたのだ。後の発表では大阪の震度は4だった。しかし私は震度5はあったと思う。震度4は和歌山で2回ほど経験済みだが、そんなに大した揺れではなかった。
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