阪神淡路大震災20年 両陛下の行幸啓がもたらした復興への力

2015.01.17 Saturday 03:10
くっくり


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[阪神大震災で神戸市長田区の菅原市場をご視察後、皇后陛下はバスの窓から手話で「がんばってください」と被災者たちに語りかけられた=1995年(平成7年)1月31日撮影。画像出典:毎日新聞

 神戸出身で当時共同通信の記者だった青山繁晴さんが、『ぼくらの真実』image[](138ページ)でこのように振り返っておられます。

【発生から2日後の1月19日、村山富市総理(当時)が立ったまま急ぎ足で被災地をまわり、被災者は怒りに震えました。
 共同通信政治部の総理官邸担当記者だったぼくには「おまえ、総理に言ってくれ。えらそうに見下ろして、何様なんだ。怒りで復興が手に付かない」という声が友だちからも親戚からもやって来ました。
 ぼくは村山さんと歴史や中韓・北朝鮮に対する考え方は180度違いますが、村山さんは人柄のいい正直者です。しかし官僚が「総理、急いでください。日程が詰まっています」と言うのに逆らえなかったのですね。
 ところが、そのあと1月31日に天皇皇后両陛下が神戸とその周辺だけではなく淡路島にも行幸啓され、被災者ひとりひとりの前に屈(かが)まれて眼を合わせてくださり、「頑張ってくださいね」と声を掛けられたために、この怒りの声がぴたりと鎮まったのです。
 僕は政治記者として昭和天皇の吐血から崩御に至るまでを徹底的に取材しましたから、宮内庁にも信頼関係のある人が何人か居ます。その人々から聞いたのは「陛下におかれては、お膝の痛みを持っていらっしゃるのに、そんなことはまったくお顔にも出されずに、痛いお膝を曲げられて、皇后陛下とご一緒に被災者ひとりひとりに屈まれましたよ」ということでした。
 両陛下は、ご自分のお体や痛みよりも、あなたが大事です、民こそが大事ですということを身をもって示されました。
 それがなかったら神戸の復興はきっと遅れたと、ぼくも地元も友だちらも信じているぐらい、両陛下の民こそを愛されるお気持ちは深くみんなに伝わりました。】

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