ハル・ノートは「恥ずべき最後通牒」だ! ルーズベルトを批判した米共和党議員

2014.12.08 Monday 00:55
くっくり



 フィッシュは、自著「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう振り返っています(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)。


【私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。

 1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省で最後通牒が手交された。
 それはハル国務長官が渡したものである。

 ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。
 民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。】


 フィッシュは共和党員であり、ルーズベルトの前任で共和党のフーバー大統領の抑制的な対日外交を知っていました。

 それだけに、ハル・ノートの内容が日本に対する最後通牒であったことをすぐ理解しました。

 フィッシュはハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っています。

 それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書でした。

 フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じました。

 戦後の研究で、日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達しました。
 
 別の自著「Tragic Deception: FDR and America's Involvement in World War II.」(1983年)(邦題「日米開戦の悲劇」岡崎久彦監訳)の中で、フィッシュはこう述べています。


【私はルーズベルトを許すことができない。
 彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

 日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハル・ノートはルーズベルトが真珠湾攻撃を『恥ずべき行いの日』と呼んだことにちなみ、『恥ずべき最後通牒』と呼ぶのが適切と思われる。

 日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。
 天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

 天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。

 日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。

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