新社長になっても「反日ありき」が続く限り朝日は変わらない!

2014.12.06 Saturday 04:06
くっくり



 「萎縮をしてしまって調査報道がやりにくくなるという質問だが、調査報道は極めて難しい報道。だからこそ、チェック機能は果たしていかないといけない。私どもにも当然チェックする機能はあったわけだが、うまく働かなかったということで今回のような問題が起きている。その一つ一つについて、機能がなぜ働かなかったのかを今、社内で懸命に点検している。同業他社のみなさんが、どういう形でやられているのか勉強しながら、やっていこうと思っている」

 −−改革に向けた具体策の中で言論の「広場」機能の強化が挙げられている。

 渡辺社長「新聞はさまざまな言論が切り結ばれる場。さまざまな主張に対して読者の方がどうこれからのことを考えていくか、それに資するような場でなければいけない。手法としてどういう形がいいのか、今すぐ見えているわけではないが、デジタルの機能もうまく使いながら、新聞も投稿欄などで双方向性を仕掛けていく仕組みは持っているので、そういうのを合わせて考えていきたい」

 −−渡辺社長のこれまでの職歴、経歴について具体的に教えてほしい。一連の問題のときに、どういう立場でどう関わっていたのか知りたいので。そしてその当時、一連の問題についてどう思われていたのか、少しはお聞かせ願えないか。

 渡辺社長「1982年の入社。鳥取、京都、広島、現在は東広島といっているところを担当した後、大阪社会部で仕事をした。時期としては昭和から平成にかわるころ。80年代は地方の記者だったので、そういう問題に触れることもなかった。社会部時代の90年代は主に事件の持ち場が長かった。事件を主にやっていたということ」

−−編集局長は何年からやっていたのか。「吉田調書」のときは

 渡辺社長「『吉田調書』のときはすでに東京の管理担当だった。編集局長をやっていたのは2010年ころ」

 《渡辺社長は一連の慰安婦報道について当時どう思っていたのか、最後まで見解を述べなかった》

 −−読者からの意見がいろいろとあったと思うが、批判が高まった原因はどういった対応にあると考えるか。それに経済的な影響について。発行部数でどれくらい影響があったのか。

 渡辺社長「読者のご指摘、ご批判は幅広く、いろんなものがあった。池上コラムの見送りについては、あのコラムは多くの読者が楽しみにしてらっしゃるので、大変厳しい意見をいただいた。コラムについては早く再開してほしいという声が届いている。

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