下村満子さん、慰安婦問題を複雑にしている挺対協の暴露会見をお願いします。
2014.11.24 Monday 19:02
くっくり
【1993年11月、韓国の古都・慶州で当時の細川護煕首相と金泳三大統領との会談があったときのことだ。
韓国はもう冬の季節、身を刺す氷雨の日に、韓国の支援団体が、おばあさんたち10数人を中心にしたデモをした。
分厚いジャンパーを着こんでいても堪えられない寒さなのに、おばあさんたちときたら、薄い生地の白いチマチョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。
時おり、リーダーのハンドマイクに合わせ「日本は補償しろ」と叫んでいたが、顔は蒼白である。
「いくらなんでもカッパぐらい着せてあげなければ。おばあさんたちが風邪をひいてしまう」
と案じた目の前で、おばあさんたちの1人が倒れた。
「これが人権団体のやることか」と思わざるをえなかった】
再び下村満子氏のコメント。
「国交正常化の時の請求権協定からして、挺対協が主張するような国家補償はありえない」
「挺対協の人たちは、200年戦争だ、とも言っていた。彼らが反日運動をやるのは自由だけど、おばあさんたちがどんどん死んで、仮に国家賠償が20年、30年後に取れたとしても何なのですか、みんな死んでいるでしょうと、いくらいっても、おばあさんたちが死のうが生きようが、我々には関係ないと言っていた。おばあさんたちに償い金をもらわれてしまったら、彼らの運動は終わってしまうから、人権とか尊厳とかは口先だけでおばあさんのことを反日運動の看板として利用しているだけだ」
※これは日本の反日サヨクの多くにも当てはまることですね。元慰安婦の幸せなど考えてなくて、日本を叩けるから利用しているだけ。
次に、臼杵敬子氏のコメント。
image[141124-03usuki.jpg]
[画像は東亜日報2001/8/13付より]
臼杵氏は1997年7月に韓国政府により入国禁止措置を受けました。
「アジア女性基金」活動の架け橋的な役割をしてきたため、基金受け取りに反対する挺対協が、臼杵氏の入国を認めないよう韓国政府側に要求したのです。
入国禁止措置は2年2カ月にわたりました。
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