朝日の沖縄戦教材配布に曾野綾子さんが物申す
2014.11.15 Saturday 00:53
くっくり
「ばかなことをしてはいかん。手榴弾をお寄越し」
彼は娘たちの持っていた2発の手榴弾を取り上げ、代わりに「何かの時に役立つかもしれない」といって、1個の錆びかけた空き缶をくれた。
比嘉初枝は死を覚悟していたが、逃げまどう途中で防衛隊にいた父に出会った。初枝は父の胸の中で思うさま泣いたが、その時父は言った。
「死ぜえならんど(死んじゃいかんよ)。アメリカに、かちみらりよ(捕虜になるんだよ)」
これが私の聞いた最高に強い父の言葉だった。
沖縄中が、朝日新聞の作った教材のように、本土や軍部の言葉に惑わされて娘や息子を死に追いやったのではない。それはあまりにも沖縄の人たちに対して無礼な証言だ。しかしこれが朝日新聞の常套手段だった。沖縄は常に被害者であるが故に正しく、本土は常に沖縄を圧迫する加害者という図式を作る。しかし沖縄にも、本土と同様、立派に自分を失わなかった人と、他者の考えに簡単に踊らされた人がいたということだ。
朝日は、何はともあれ、かつては日本一の大新聞だった。どんな独自の調査網でも作れた。私が講談社の、たった4人のライターたちと駆け回った以上の現地調査は、もう何十年も前から、いくらでも独自にできたはずなのだ。それなのに、朝日も(他の新聞社も)自分の調査をしないで、他社のニュースを鵜呑みにする。私はそれが日本のジャーナリズムの何よりの衰えと感じられる。
朝日は少しも変わっていない。簡単に善玉と悪玉を作り、そのどちらでもない人間が、同時にそのどちらにもなりうる人間の奥の深さを理解しない。
____________________________全文起こしここまで
曾野綾子さんと沖縄集団自決問題との関わりをご存知でない方もおられるかもしれませんので、いちおう付記しておくと…
1950年(昭和25年)に沖縄タイムス編著で朝日新聞社から出版された【沖縄戦記 鉄の暴風】。これが集団自決は軍の「命令」によるものだとする説の起源です。
この本の記述が、1970年(昭和45年)に岩波書店から発行された大江健三郎氏の【沖縄ノート】などに孫引きされ、渡嘉敷島では赤松嘉次大尉、座間味島では梅澤裕少佐が、住民に手榴弾を渡して集団自決を強要したと、世間に広く流布されることになりました。
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