日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より
2014.11.08 Saturday 03:08
くっくり
故に在留邦人が、その仕事の上での責任を軍に負っかぶせるような理由は毛頭もない。
(中略)当時の彼女等は兵隊さん達からの人気も良く、彼女等自身売られて来たであろうと思われる暗い境遇とは思えぬ程明るく暮らしていたことが、私の脳裏に残っている。
私は彼女等とは平素日本人同士として親しくつき合っていた。
彼女等は私の宿舎へのよく遊びに来ていたし、私方で新聞、雑誌を読んだり、時としては私方の風呂に入ったりしていた。
彼女等は、私に度々自分等で作ったキムチを持って来てくれた。
私がキムチの味を知ったのは、彼女等のお陰であるといえる。
(中略)私はある朝鮮人慰安婦から「私は一生懸命働いて金を貯めて五、六年したら足を洗って、尼崎で食堂でも経営したい」としんみり将来の希望を聞かされたことがある。
なるほど訴状に書かれてある「毎日何十人もの兵士の性欲処理の相手をさせられ」とあるが、このような事実もあったようである。
しかし、これは進攻作戦とか粛清討伐作戦とかで、数十日も数カ月も戦闘を続けて基地に帰った兵士達が、一時的にドッと慰安婦の許に押しかけるからであり、一時的な現象であったようだ。
もちろんこの場合も代金を取ったことに変わりはない。
私は彼女等を連れて花見に場外へ出たことがある。
この花見も銃剣を構えた護衛つきであったが(城外は危険であるから)…しかし、考えてみると同じ城内にいた日本人慰安婦とは、花見どころか打ちとけて話をした記憶もない。
これは朝鮮人慰安婦は年齢も若く、まだ失われていない素人さがあったからともいえる。
■鈴木武夫さん
【元満州国奉天省海城県警察経済保安股長。股長とは日本の課長。昭和十八年八月に満州国警察官となり、十九年二月、海城県の警察署経済保安課に勤務。酌婦(慰安婦)の検黴(検梅。梅毒に感染しているか否かを検査すること)を中国人の警察官と一緒に月に二回県立病院に出張し、県立病院の中国人の医者と日本人看護婦らと立ち会いで行った。酌婦の出身地はほとんどが朝鮮だったという】
(聞き手の中村粲氏「検黴を医者に任せるのではなく警察が立会うというのは随分厳重ですね」)
当時は売春は公認だった。
だから病気の者に営業をやらせる訳には行かなかったのです。
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