日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より

2014.11.08 Saturday 03:08
くっくり


 恐らく希望に胸膨らませ、未知のお金が溢れかえる程儲かる世界へ喜び勇んで飛び込んで行ったに違いない。
 現世の人権擁護者や平和論者の諸君。
 世の中自分が実際見聞した事以外の不透明な事を天下に公表するな。
 まして六十年も前の事を。
 此れからの日本を背負って立つべき若い世代にウソを載せた教科書で教育するな。


■伊庭野政夫さん
【元歩兵二二〇聯隊第二中隊人事係曹長】

 昭和十四年四月渡支した私共第六中隊は小冀鎭(しょうきちん)にあって主として鉄道警備に従事していました。
 私は兵の総てを掌握する人事係を担当して居ました。

 この小冀鎭へ駐屯して一ヶ月ほど経った頃、一人の朝鮮人がやって来て、私に「朝鮮の女性を七人連れて来た。兵隊さん方の慰安所を開きますのでよろしくお願いします」と語ったのです。
 私は中隊長と相談したうえで「そうか、場所は」と聞くと「すぐ近くの民家を借りました」とのこと。

 結局彼等は、日本軍と関係なく、親方が女を募集して連れて来て蜜にむらがる蜂のように、自発的に営業したのであって、何等、日本軍の係りのないことだった。
 たしか一時間一円五十銭とかだったので兵全員は、なけなしの給料をはたいては、そこで性のはけ口を求めたのは当然で、兵を責めるべき何ものもありません。

 その半島慰安婦の一人、定子という日本名にした女から聞いたのですが「大半の女は家が貧しいので、ここで働いて故郷へ仕送りしているが、一円五十銭のうち、四割の六十銭が親方に歩合として差引かれ、九十銭が純収入になるのです」とのことだった。
 その七人の半島女性は我中隊に協力的で、何か宴会があるときなど参加してくれて兵全員に酒をついでくれたりしたので、兵士はこの女性を大切に扱い、よく言われている暴行などは一切ありませんでした。

 しかし朝鮮人の親方は陰で秘かに、いかがわしい写真を中国人に売りつけては、儲けたり、阿片を密売して居ました。
 私はあるとき、阿片を押収して、焼却したことがあります。

 聯隊本部所在地の新郷の街には、日本女性のキャバレーがあり、日本女性、半島人女性、中国人女性の、いわゆる女郎屋は、軒を並べて営業しており、一番多いのは、朝鮮人女性のパンパン屋でした。
 そこの私の知っている朝鮮人の親方は五十才ぐらいの女であって、一時間を少しでも過ぎると「早く帰れ、なんならもう一円五十銭をすぐ払え」と物凄い見幕で日本軍人に放言して居ました。

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