日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より
2014.11.08 Saturday 03:08
くっくり
それを人に貸すと家賃が月八円位だった。一年も働くと千円からの財産家だ。
泣きの涙で働かされたナンテトンデモ無いことだ。
強制連行して迄引っ張って来なくてもナンボでも募集に応じて来るソウダ。
私が漢口で憲兵隊の大竹伍長に身の振り方を頼んだ元眄陽地区で慰安所の番頭だった安田某なる男(くっくり注:朝鮮人。慰安所の主人も金山という朝鮮人)と偶然にも昭和十八年夏、動員下令に伴い朝鮮平安南道平壌府に新設せられた第三十師団野砲兵第三十連隊本部に単身追求中、津浦線の車中で三年振りに偶然再会した。
彼は今武昌で慰安所の経営に成功して身なりも立派で貫禄も付ていた。
「曹長さんお元気!ワタシ此の通りケンキ々々テス。ヒトリテキサノテトコユク?東京のカクコーカ?」
「うんニャ朝鮮の平壌だ。動員で、転勤の様なモノだ」
「ソレハ丁度良い。ワタシ 新義州で降りて船に乗り換え私の田舎帰るヨ」
「其れ何んな用事で?」
「ハイ。もーすぐ南の方面で大作戦が有るらしく大部隊がトントン集結中で、武昌の町は兵隊で一杯。内の慰安所イソカシ、女の子足りないので私の田舎の父母に女の子ボシューして貰うてた集まったから受け取りに来た」
「フームそんなに簡単に集まるなんてホントかな?」
「ホントホント私の家の者、毎日断るの苦労してるよ。コレ本当。私の店外の店より一寸工夫してサービスを良くしただけでお客何時も満員。女の子も私も儲かるからサービスする、また客来る、私も女の子も儲かる、儲かるから又サービスする。昔、曹長さんが漢口へ引っ張ってきて呉れたお陰です。本当にお世話に成りました」
と大感激の一幕だった。
「ソーカ其れは良かった、此れからの天狗に成らずに女の子を良く可愛がるように」
「ハイ、良く分かりました。内で働く子は私の妹より大事に可愛がっています。所で曹長さん、平壌に何時迄おりますか?集まった女の子の顔みてその子達の親にお金渡したら直ぐ平壌に行きたい。平壌の何処に行けば会えますか?」
「其れは解らぬ、何時迄居るのか、何処へ行くのか、此処で会えて良かったナー会うが別れの始とか、縁が有れば又会えるお互い元気で頑張ろう、又会う日まで」
(中略)安田青年が彼の故郷で募集した彼女達はどんな気持ちで態度で故郷に別れを告げたのだろうか?
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