慰安婦問題年表(1)1965-2015

2014.10.27 Monday 19:11
くっくり




<1996年>

2月6日
スイスのジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会にスリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、附属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラスワミ勧告)。
前年7月、秦郁彦は来日したクマラスワミと都内で面談し、(1)吉田清治は「職業的詐話師」(2)暴力で連行されたと申し立てた慰安婦の証言で、客観的裏付けが取れたものは一例もない(3)慰安婦の雇用契約関係は日本軍との間ではなく、業者との間で結ばれていた−などを説明していた。ところが、ク報告書には秦が「大多数の慰安婦は日本軍と契約を交わしていた」と述べたと記述されていた。秦は抗議の申立書(英文)をクマラスワミに届けたがなしのつぶてだった(産経新聞2014年10月18日)。

3月
日本政府がクマラスワミ報告書を「極めて不当」「無責任で予断に満ち」「歴史の歪曲に等しい」「受け入れる余地は全くない」などと厳しく批判した全42ページにも及ぶ反論文書を作成し国連人権委員会に提出したが、すぐに撤回した。その理由については、「反論することで、かえって慰安婦問題の議論を起こしかねないと懸念したため」とされている。撤回された反論文書は簡素で形式的な文書に差し替えられたが、その内容は、「アジア女性基金」による元慰安婦支援の取り組みなどを説明するのみで、報告書の否定を求める記述を削除した「日本の施策」とする半ページほどの物だった。

4月20日
クマラスワミ報告書が、評価基準は最下の"take note"(留意)ながらも全会一致で採択される(「報告者の活動」に対する評価は"welcome"(歓迎)であった)。

5月
『週刊新潮』(5月29日号)でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。

[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (0)


<< 山口采希さんの歌は日本人の道標
「アンカー」特別調査でっちあげ疑惑&憲法改正せずとも自衛隊は北に行くぞと交渉に盛り込む秘策 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]