慰安婦問題年表(1)1965-2015

2014.10.27 Monday 19:11
くっくり



12月
韓国経済企画院が『請求権資金白書』を作成。1965年の国交正常化の際、日本から韓国に提供されたいわゆる請求権資金5億ドルが韓国でどのように使われたかを詳細に記録した、韓国政府の公式文書である。


<1977年>

3月
吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)を出版。


<1982年>

9月2日
朝日新聞が大阪本社朝刊社会面で、吉田清治が講演で「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と語ったと報道。朝日新聞が吉田清治の証言を扱った最初の記事。これを書いたのは清田治史記者とされてきたが、2014年9月29日、朝日新聞が記事を書いたのは大阪社会部の別の記者だったとする訂正記事を掲載。

9月・11月
第二次世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現サハリン州)に渡った朝鮮人の韓国への帰還を日本政府に対して請求する「樺太裁判」(樺太残留者帰還請求訴訟)で、吉田清治が原告側の証人として朝鮮人の「奴隷狩り」(強制連行)を証言。


<1983年>

7月
吉田清治が『私の戦争犯罪-朝鮮人連行-』を出版。韓国の済州島において慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白。

11月10日
朝日新聞が「ひと」欄で、吉田清治が「謝罪の碑」を韓国に建てたことを写真入で紹介。

12月24日
朝日新聞が社会面トップで、「強制連行 謝罪の碑 悲しい除幕」「張本人として耐えられぬ自費建立者 大地に低頭」「勇気は感謝だが日本政府は 韓国人遺族ら やり場ない怒り」という見出しで、韓国の天安市に謝罪碑を建てるために訪韓した吉田清治の記事を、吉田が土下座する写真とともに掲載。碑は天安市の国立墓地に「元労報徴用隊長」の名義で建てられた。


<1984年>

11月2日
朝日新聞が「私は元従軍慰安婦」という見出しでシンガポール特派員の松井やよりが記事を掲載。「21歳のとき、日本軍の従軍慰安婦として故国から引き離された」という韓国人のおばあさんをタイ南部に訪ねたとしている。この記事には、「この夜から、挺身隊員としての地獄の日々が始まった」という記述も出てくる。軍用工場などの労働力にされた「(女子)挺身隊」と慰安婦は別だが、松井は両者を同一視。これを皮切りに、朝日新聞は92年ごろまでに、社説を含めた少なくとも17本の記事で、両者を混同する誤った記述を繰り返した。

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