慰安婦問題年表(1)1965-2015
2014.10.27 Monday 19:11
くっくり
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<1965年>
6月
日韓基本条約に付随して日韓請求権協定が締結。これにより、日韓の請求権に関する問題は、「完全かつ最終的に解決済み」となった。
<1968年>
4月26日
衆院社会労働委員会で慰安婦問題がとりあげられる。
<1970年>
6月
『週刊新潮』6月27日号に千田夏光が『特別レポート 日本陸軍慰安婦』を掲載。この時点では『従軍慰安婦』という言葉は使用していないが、慰安婦はまるで公衆便所で、朝鮮人が多かったと記載。
8月14日
ソウル新聞において「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と報道される。
8月
田中美津(ウーマン・リブの運動家)が女性解放連絡会議(準備会)のビラ『便所からの解放』で慰安婦問題に言及。
<1971年>
8月
城田すず子自伝『マリヤの賛歌』出版。城田は後に「戦後40年目にして名乗り出た日本人元従軍慰安婦」として運動家らに利用されることになったが、彼女はそもそも娼婦であり、慰安婦強制連行を主張する(現在は「強制性」に主張をスライドさせている)中央大学の吉見義明教授も『従軍慰安婦(1995)』の「III 女性たちはどのように徴収されたか 日本からの場合」において、城田を取り上げていない。
<1973年>
10月
元毎日新聞社記者でノンフィクション作家の千田夏光が『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』(双葉社)を出版。「『挺身隊』の名の元に彼女らは集められた」「総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち、『慰安婦』にさせられたのは5万人ないし7万人とされている」と記す。「慰安婦」という言葉に「従軍」という事実に反する接頭語をつけたのはこの書籍が最初とされる。
<1974年>
千田夏光が『続・従軍慰安婦』刊行。
<1976年>
1月
金一勉が『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房)を出版。金一勉は、朝鮮女性が慰安婦にされたのは日帝が朝鮮民族を消滅させようとしたためであったと主張し、さらに慰安婦は17歳から20歳までの処女だけが20万人集められたとした。この本は後に「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成することになる尹貞玉に強い影響を与えた。
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