日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より

2014.09.08 Monday 01:07
くっくり


 来年で終戦から丸70年。
 日韓併合時代の朝鮮を知る方で、ご存命の方はまだ多くおられると思います。

 が、それはあくまで民間人として生活をされていた方です。
 朝鮮總督府の中で役人として働いていた方の証言となると、もはやほとんど得ることが難しいのが現状です。

 編集部も、そして西川さんご自身も指摘されているように、日韓併合の実態を行政側から解説できる朝鮮總督府官吏としての証言は、おそらくこれが最後でしょう。

 そういう意味でも、大変貴重な本です。

 西川さんの証言は大変リアルで具体的、しかも生き生きとした語り口なので、私はまるで当時の朝鮮にタイムスリップしたような気分になりました。

 西川さんが提供された写真や書類(当時の辞令など)も、多数掲載されています。
 編集部による資料、コラムもとても充実しています。

 西川さんの写真には、職場の仲間たちと撮影されたものが多くあります。
 日本人と朝鮮人が一緒に仲良く写っているものばかりです。

 シチュエーションは、仕事場、花見、懇親会、野球チームなどさまざま。
 ちなみに野球は、なぜか朝鮮人と日本人の混合チームが一番強かったそうです。

image[140908-02hanami.JPG]
[本書掲載写真の1枚。春川神社での花見です。頼んだ芸者さんは着物姿の日本人とチマチョゴリを着た朝鮮人女性が混在しています]

【西川清さんの経歴】

 大正4年 (1915)
  和歌山県田辺市生まれ
 昭和8年 (1933)
  18歳 熊野林業学校卒業 朝鮮江原道産業部に奉職する
 昭和11年(1936)
  21歳 第1回朝鮮總督府地方官吏養成所入所
 昭和12年(1937)
  22歳 朝鮮總督府 江原道属に任官する
 昭和13年(1938)
  23歳 臨時召集により歩兵第76連隊に1年間入隊(羅南)
 昭和18年(1943)
  28歳 江原道属寧越郡 内務課長に昇進
 昭和19年(1944)
  29歳 江原道属原州郡 内務課長に昇進
 昭和20年(1945)
  30歳 江原道庁鉱工部鉱工課主任に昇進
 昭和20年(1945)
  30歳 終戦 仙崎引揚援護局に就任
 昭和21年(1946)

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