昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」
2014.08.11 Monday 18:05
くっくり
そして時は流れ……。
昨年、傘寿を迎えられた際、陛下はこう述べておられます。
「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています」
なんと畏れ多いお言葉でしょうか!
陛下は、11歳の時に引き受けられた“責任”を、現在もなお一身に背負っておられます。
一貫して先の大戦と向き合われ、皇后陛下と共に各地で戦没者の慰霊などに当たられてきました。
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平成5年、陛下は歴代天皇初の沖縄ご訪問を果たされました。
(昭和天皇は沖縄ご訪問を強く望まれていましたが、叶うことなく崩御されていました)
戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけられ、まず、被爆地の広島と長崎で、原爆による犠牲者の霊を慰められました。
続いて、住民を巻き込んで激しい地上戦が行われた沖縄を訪れられ、沖縄戦最後の激戦地、糸満市で戦没者の墓苑に拝礼されました。
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この前年の平成6年には、硫黄島を訪れ、飢えや渇きに苦しんだ戦死者を思い、慰霊碑に水をかけ白菊を供えられました。
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戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
「バンザイ・クリフ」などを訪ねられ、遺族らが見守る中、黙祷を捧げられました。
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今年6月26日には、沖縄から九州に向かう学童疎開船の対馬丸がアメリカ軍に撃沈されてから70年を迎えたのにあたり、犠牲者の慰霊などのため、沖縄県を訪問されました。
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