昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」

2014.08.11 Monday 18:05
くっくり



(中略)今は日本のどん底です。それに敵がどんな事を言ってくるか解りません。これからは苦しい事辛い事どの位いあるか解りません。どんなに苦しくなってもこのどん底から這い上がらなければなりません。それには日本人が国體護持の精神を堅く守って一致して働かなければなりません。日本人一人とアメリカ人一人を比べれば、どんな点でも日本人の方が優れています。唯団体になると劣るのです。そこで此からは国體訓練をし科学を盛んにして、一生懸命に国民全体が今よりも立派に新日本を建設しなければなりません。殊に国が狭くなったので、此からは農業を一層盛んにしなければなりません。それが私達少国民の役目です。

 今までは、勝ち抜く為の勉強、運動をして来ましたが、今度からは皇后陛下の御歌の様に、次の世を背負って新日本建設に進まなければなりません。それも皆私の双肩にかかっているのです。それには先生方、傅育官の言う事をよく聞いて実行し、どんなに苦しさにも堪え忍んで行けるだけの粘り強さを養い、以て最としっかりして明治天皇の様に皆から仰がれるようになって、日本を導いて行かなければならないと思います。】

image[140811-92sakubun.jpg]
[殿下の日記は8月10日放送のBSジャパン「皇室の窓スペシャル〜平和への祈り〜」でも少し紹介されました]

 当時わずか11歳の少年であられた殿下が、終戦当日にすでにこのようなご決意をされていたのです。

 私はこれを初めて拝読した時、涙があふれてどうしようもありませんでした。・゚・(ノД`)・゚・。

 つまり、城山さんが学園祭で見た殿下は、単なる「素朴な少年」ではなかったのです。

 11歳にしてすでに祖国と国民への責任を自覚され、困難に耐えて行く覚悟を決められていた、「日本でたった一人の特別な少年」だったのです。

 だから、城山さんが「いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない」と感じたのは、実はごく自然なことだった。
 私にはそう思えてなりません。

 昭和20年8月15日、人知れず決意をなさった殿下(今上陛下)は、新日本建設への歩みを、国民とともに着々と進められてきました。

[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (0)


<< 「ミヤネ屋」朝日慰安婦検証報道 西岡力さん徹底解説!朝日は記事を英文サイトに載せろ!&植村報道の2カ月後に“挺身隊”と“慰安婦”の混同を把握
在米慰安婦工作で韓国は中国の戦略に組み込まれている!青山繁晴「インサイト・コラム」より >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]