昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」

2014.08.11 Monday 18:05
くっくり



 ご放送が終わってからも、しばらくそのままのご姿勢ですわっておられた。

 まだあどけない十一歳の少年であったが、しっかり結んだお口元には堅いご決意のほどが拝察され、お気の毒に思いながら、また凛々しさに心打たれるものがあった。

 やがて穂積東宮大夫は、いたわるように殿下のおそばに近づいて、自分も隣にすわって(御座所は日本間であった)ものしずかに孫をさとすような調子で、ただいまのご放送の内容をご説明申し上げ、とくに戦争に負けて終戦となったが、日本国が滅びたのではない、日本はこの敗戦のあらゆる困難を克服して、再びその存立を確実にし、繁栄をとり戻さなければならないのである。この日本再建の時代に際会された殿下のご責任と、ご任務は、まことに重大である。どうかいたずらに悲嘆にくれることなく、専心ご勉学にはげまれて、きょうの悲壮なご決意を一生お持ち続けになり、明天子におなり遊ばしますようにお願い申し上げる、というような意味のことをお話しされた。

 殿下は黙って、いちいちうなずいておられたが、そのお顔色にははつらつたる生気をとりもどし、堅いご決意のほどがそのご様子にありありとうかがわれた。東園基文侍従の話によると、殿下はその日の日記に、堅いご決意のほどをしるされていたとのことである。

(月刊「WiLL」06年1月号「明仁天皇の大東亜戦争/高杉善治・小池松次」)】

 では、その日、殿下が書かれた日記とはどのようなものであったのでしょうか。

image[140811-91sokkin.jpg]

 側近だった木下道雄さんが、殿下の日記を写していました。
 以下は、その一部です(「3。祖先神・氏神信仰の天皇中心神話と排他的絶対神崇拝のキリスト教・ユダヤ教との400年の攻防!」より引用)。

【昭和20年8月15日、この日、我が国3000年の歴史上初めての事が起きました。そしてこの日が日本人に永久に忘れられない日となりました。

(中略)今度の戦で我が忠勇な陸海軍が陸に海に空に勇戦奮闘し、殊に特攻隊は命を投げ出して陛下の御為笑って死んで行きました。又国民も度々の空襲で家を焼かれ、妻子を失っても歯をくいしばってがんばりました。この様に国民が忠義を尽くして一生懸命に戦った事は感心な事でした。けれども戦いは負けました。

[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (0)


<< 「ミヤネ屋」朝日慰安婦検証報道 西岡力さん徹底解説!朝日は記事を英文サイトに載せろ!&植村報道の2カ月後に“挺身隊”と“慰安婦”の混同を把握
在米慰安婦工作で韓国は中国の戦略に組み込まれている!青山繁晴「インサイト・コラム」より >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]