昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」
2014.08.11 Monday 18:05
くっくり
自分でもわからないけど、そういう感動が沸き起こってきたと書いたんですよね。
そういうシーンでした。
おもしろい小説なんですよ。
で、私は私の本の第七章の題に《戦後『大義の末』を書いた城山三郎は、夕暮れのキャンパスで「国体」を見た》とつけたのです。
(平成25年12月8日、西尾幹二全集刊行記念講演会に依る)
______________________________起こしここまで
城山さんの“私小説”『大義の末』の記述を、西尾さんがもう少し詳しく紹介しているのが、この動画です。
『大義の末』が手元にないので、この動画(45:00あたり〜)を参考に実際の記述を抜き出してみます。
( )は私くっくりの注釈です。
「柿見(城山さんのこと)の胸にあたたかなものがぐんぐんひろがって行った。何ひとつ解決されてはいない。だが(杉本五郎中佐の遺著の)『大義』につづく世界を考えていく上で安心できるきめ手を与えられたのだ」
「いまとなってみると、皇太子を見るまでの心の混乱が、涙が出そうなほど滑稽に思われた」
「『大義』の世界は仮構でも空虚でもなかった」
「柿見たちがあれほど烈しく身命を投入した時期に確かに応えるもの、少なくとも裏切らないものを、あの素朴な少年は持っていた」
「呪縛されそうな硬質の親愛感…それは正しく『大義』に代り、『大義』につづくものであった」
「いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない」
終戦後、それまでの価値観が一変したこともあり、昭和天皇やご皇族に対して、あまり良くない感情を持っていた人々がいたのは確かです。
が、そういった人々も多くは、いざお姿を拝見すると別の感情が湧き上がってきた、すなわち城山さんが体験したような理屈抜きの感動が湧き上がってきた、というエピソードはたくさん伝えられています。
国民の精神的支柱となってきた皇室の悠久の歴史が、自然とご威光となって現れるからでしょう。
それに加えて、城山さんが「いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない」と感じた理由としてもうひとつ、大きなものがあったのだろうと私は想像しています。
それは、昭和20年8月15日の皇太子殿下(今上陛下)の“ご決意”に由来します。
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