昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」

2014.08.11 Monday 18:05
くっくり


 大義がものの見事に戦後ぼろぼろになってしまった幻滅のいきさつを書く。
 そこが面白い。
 彼は進歩派左翼になり、戦後にこの本を否定し、心酔した自分を否定していくプロセスを語った。
 薄汚くなっていく戦後社会の中で、自分も薄汚くなり、そして大義をまだ覚えている仲間たちとの出来事をドラマティックに語った。

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[一橋大学の兼松講堂(国登録有形文化財)]

 その後城山さんは今の一橋大学に入るんです。
 学生たちが天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼んでいた。
 それから皇后陛下のことは「おふくろ」と言っていた。
 そういうことが語られています。
 皇太子殿下のことは何と言ったか知っていますか。
 「せがれ」と言ったんですよ。
 今の今上陛下のことです。
 あの当時の大学生は、「ああ、あのせがれはな」なんてやってたんですよ。
 野次と罵倒の言葉ですね。
 「天ちゃん」、「おふくろ」にはまだ親愛感が込められてますけど、「せがれ」にはいくらか侮蔑感が込められていたかもしれません。
 そういう言葉は行き渡っていて、そこに今上陛下、「せがれ」が一橋大学の学園祭にやってくるんですよ。
 その話がこの小説のクライマックスです。

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[皇太子殿下時代の今上陛下。1949年(昭和24年)、家庭教師のヴァイニング夫人と]

 私の本にもあらすじが書いてあって、大切な場面も全部引用されてありますけども、学生たちはもう憎んでいるんですよね、「せがれ」を。
 軽蔑してるわけです、あの時代ですから。
 広々とした秋の陽が差しているキャンパスに「せがれ」がやってくる。
 学生たちはスクラム組んで待ち受けている。
 そのとき城山さんは不思議な感動を覚えるんですね。
 おもしろいですねえ。
 神経が震えるような感動を覚えるんですよ。
 そしてもしあの男に、あの男って陛下ですが、誰か暴漢でも襲い掛かってくるようなことがあったら、自分は飛び出していって体を張ってでも守る、というようなことを考えるんですよ。

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