責任者の先逃は半島の伝統 「ディス・イズ・コリア 韓国船沈没考」より
2014.07.28 Monday 17:28
くっくり
遺体別人説はあるいは陰謀論に近いのかもしれません。
(有本香さんも「あえて妄想的なことを言いますが」と前置きした上で見解を示していました)
それよりも注目すべきは、韓国人自身が真っ先に「これは本当にオーナーの遺体なのか?」と疑ったことです。
それほど韓国の社会システムは信用されていない。
当の警察内部からも遺体別人説が、それもすぐに出てくる始末でした。
オーナー自身が政治家や官僚と癒着があったことも別人説が出てきた要因のひとつでしょうが、いずれにしろ、日本では考えられない事態です。
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しかし、こんな韓国も、実はまともになりかけた時代がありました。
朴槿恵大統領のお父さんである、朴正煕大統領の時代です。
室谷さんが、あとがきでその話をしています。
権門上に傲れども
国を憂ふる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思ふ心なし
ああ人栄え国滅ぶ
盲たる民世に踊る
これは「昭和維新の歌」(正式には「青年日本の歌」)の一節。
昭和年代の青年将校は、財閥の傲慢を恨み、困窮する農村を憂い、「国家革新」「国家改造」を掲げました。
いわゆる「昭和維新」の運動で、やがて5・15事件、2・26事件へと繋がりました。
朴正煕陸軍少将は1961年5月、軍事クーデターで韓国の全権を掌握しました。
彼が直ちに実施したことは腐敗分子の摘発であり、農村救済でした。
1972年10月には、政局混乱の中で非常戒厳令を発動し、新憲法を公布。
これは「維新憲法」と呼ばれ、その政体は「維新体制」と呼ばれました。「昭和維新」の「維新」です。
初代大統領の李承晩から2代の尹潽善までの韓国は、まさに「昭和維新の歌」の一節そのままの状況だったそうです。
朴正煕を担ぎ、旧悪を追放した青年将校たちは、やがて「新悪」になっていきました。
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