責任者の先逃は半島の伝統 「ディス・イズ・コリア 韓国船沈没考」より
2014.07.28 Monday 17:28
くっくり
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・韓国初代大統領の李承晩は、1950年6月、北朝鮮の南進が始まっても、楽観的な見通しを示していた。国会は軍の報告に基づき「ソウル死守」を決議した。が、その数時間後、李承晩政権はソウル南部の水原への首都移転を決め、特別列車で逃げ出し、翌日、ソウルは陥落した。
李承晩はただ逃げただけではなかった。その直後、軍首脳はソウルを横断する漢江に架かっていた唯一の橋を、北朝鮮軍の進撃を妨げるため爆破して逃げた。橋を渡っていた避難民数百人が犠牲になった。
李承晩は何の責任も取らないまま大統領ポストに居座った。釜山陥落に備えて日本の山口県に6万人規模の人員を収用できる亡命政府を建設しようとし、日本側に準備要請まで行っている。
こんな李承晩を韓国人は今、「反日を貫いた大統領」として尊敬している。
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・1995年、ソウルの三豊(サムプン)百貨店の大事故。鉄筋コンクリート5階建てのビルが一瞬のうちに両端の壁面だけを残して崩壊し、502人が死亡し、937人が重軽傷を負った。度重なる設計変更に伴う構造欠陥を抱えた違法建築物だった。違法部分は、市役所への賄賂でクリアしていた。手抜き工事もあった。
当日朝、ビルが揺らいでいるのが感じられた。しかし、社長は通常通りの営業を命じ、自分は外出し、崩壊した時にはいなかった。
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・2003年の大邱(テグ)市の地下鉄放火事件。運転士は司令センターの言われるままに車両のドアを開けずに逃げ、閉じ込められた乗客192人が死亡し、148人が重軽傷を負った。
その後、運転士や駅員、指令員は上層部の指示で口裏を合わせるなど、組織ぐるみでの隠蔽を図った。しかも上層部は全てが明るみに出ると、今度は2名の運転士と指令員に全ての罪を被せようとした。
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