責任者の先逃は半島の伝統 「ディス・イズ・コリア 韓国船沈没考」より
2014.07.28 Monday 17:28
くっくり
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室谷さんの様々な考察の中で、特に私が注目したのは、【第5章〈責任者の先逃(せんとう)〉は半島の伝統】です。
日本では昔から、組織のトップに立つ人はそれなりの自覚を持ち、責任を果たそうとしますが(もちろん例外もありますが)、朝鮮は伝統的にそうではない。
乗客には「部屋で静かにしているように」と指示して、自分は真っ先に逃げ出したセウォル号の船長。
信徒でもある取締役たちにマスコミ対応を命じて、自分はさっさと逃げてしまった清海鎮海運の実質オーナー・兪炳彦会長。
一番偉い人が真っ先に逃げる。
朝鮮の歴史がそれを示しています。
以下は室谷さんが紹介している事例(こちらで少し補足しています)。
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[地図出典:元寇の真実さま]
・1232年、高麗の王朝は、蒙古軍が侵略してくるや(モンゴルの高麗侵攻)、蒙古兵が船を操れないことを知り、黄海に浮かぶ江華島に逃れた。本土(半島)にいる人民を置き去りにした。
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[地図出典:歴史研究所さま]
・1590年、李王朝は、豊臣軍の動向を探る目的で、日本に使節を送った。が、その帰国報告は「侵略がある」「侵略はない」に割れていた。王朝は、報告の精査ではなく、派閥の次元で「侵略はない」とした報告の方を承認した。
ところが、秀吉軍は上陸してきた。王と王朝の重臣達は、臣下に「防戦」を命じ、自分たちは北部に逃げた。
村々で、王の一行は住民と出会ったが、住民たちは王が民を見捨てて逃げることを悲しみ、王を迎える礼法を守らなかった。「宣祖実録」によると、このとき朝鮮の民衆は李王朝を見限り、日本軍に協力する者が続出した。ルイス・フロイスも、朝鮮の民は「恐怖も不安も感じずに、自ら進んで親切に誠意をもって兵士らに食物を配布し、手真似でなにか必要なものはないかと訊ねる有様で、日本人の方が面食らっていた」と記録している。
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