教科書展示会に行ってきました(小6社会)

2014.06.23 Monday 17:28
くっくり


【本文】日露戦争後の日本と世界

 日露戦争では、日清戦争のときの4倍以上の人々が戦争に動員されました。歌人の与謝野晶子は、戦地の弟を思い、戦争への疑問をうたに表しました。このように、戦争に反対する意見を述べる人もいましたが、国民の多くは、リュイシュン(旅順)や日本海海戦での勝利を喜びました。アジアの人々の中にも、日本が大国のロシアに勝利したことを喜ぶ声もありました。

 日露戦争がアジアの人々に希望を与えたことが、控えめながら記述されています。

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【本文】日露戦争後の日本と世界(つづき)

 1910(明治43)年、日本は、朝鮮(大韓帝国)の人々の強い反対をおしきって、朝鮮を併合し、植民地にしました。
 朝鮮では土地の変更が行われ、その結果、土地を失い、日本人の地主のもとで小作人として働いたり、日本や満州(中国の東北部)にわたって、鉱山などで厳しい労働についたりする人々も多くいました。一方、日本人の間には、朝鮮や中国の人々を軽視し、差別する考えが広まっていきました。
 この後、朝鮮の人々は、独立をめざして立ち上がり、日本の支配に反対する運動をねばり強く続けていきました。

 (1)の光村図書と同様、「併合」と「植民地」をごっちゃにされているし、「土地を奪われて(仕方なく)日本や満州にわたった」的な書き方がされています。

 「朝鮮の人々の強い反対をおしきって、朝鮮を併合」も間違いです。

 大韓帝国で当時最大の政治団体であった一進会(宮廷での権力闘争に幻滅し、外国の力を借りてでも韓国の近代化を目指す方向に進んだ、いわゆる開化派)は、日韓併合を推進しました。

 英米など列強も、日韓併合は東アジアの安定につながるとして歓迎していました。

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 日本統治時代の朝鮮半島が、多くの朝鮮人にとって生きやすい環境だったことは間違いありません。

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