教科書展示会に行ってきました(小6社会)

2014.06.23 Monday 17:28
くっくり



 満州や日本本土(内地)に移住した朝鮮人はほとんどが自由意思です。
 特に本土へ行きたがる朝鮮人が多かった。
 本土は朝鮮より賃金も高く、雇用機会も多かったからです。
 彼らが生活水準の高い日本本土を目指したのは、人間として自然な流れでした。

 しかし、朝鮮人の移入によって本土では大きな問題が発生しました。
 本土の治安や失業率が悪化したのです。

 このため、1934年10月、岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定しました。
 これは朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発を行うとともに、密航の取り締まりを強化するというものでした。

 その結果、本土への朝鮮人の密航が頻繁に行われるようになりました。

 1938年12月26日には摘発された密航朝鮮人180人が強制送還。
 1939年1月には300人の密航朝鮮人が強制送還。
 その後も、多くの密航朝鮮人が逮捕・強制送還されています。

<参考資料>
13/6/15:三輪宗弘先生の「大韓民国の物語」書評で改めて見えた韓国の民族主義と李栄薫教授の苦悩
11/2/22:日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
賢者の説得力ホーム>日韓併合>土地の収奪
Wikipedia>在日韓国・朝鮮人>3.3.2 日本内地への移入・密航

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【コラム】ナンキン占領を伝える新聞

 日本では戦勝記念の祝いが行われていましたが、外国では、日本軍が子どもや女性などの民間人も殺した事件として報道されました。多くの日本人がこのことを知ったのは、戦争が終わってからでした。
 <日本軍に占領された中国の人たちは、どんな気持ちだったのだろう>

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