大江健三郎が原発推進派だった過去を隠している件&「美味しんぼ」鼻血騒動

2014.05.12 Monday 21:07
くっくり



 また、菅原さんの2012/9/10付記事では、1965年に文藝春秋新社から発行された大江氏のエッセイ『厳粛な綱渡り』が、1991年に文庫版として発行された時に“削除”された箇所が引用されています。

【この遅れたカメの性格を多分にもつ地方都市に、新しい産業の光が不意にさしこんできたように思えた一時期があった。三十年の小鴨鉱山におけるウラン鉱発見である。市長をはじめ市民たちは、かなり興奮したもようである。しかし、放射性物質にいたして(原文のまま。「たいして」か)の世界市場の態度が一種の雪どけを示して以後、ウラン鉱山の採算のとれる範囲は縮小した】

 大江氏は文庫化に際して、文庫版のための編集(削除)は「物理的に分量を少なくするための整理」だと説明しているそうですが、菅原さんはそうは捉えておられません。

 「ウラン鉱発見を『新しい産業の光』と持ち上げ、外国人や友人のだれかれをウラン焼の町へ誘っておいて、その文章を後から全部なかったことにするような真似」を大江氏がしていることを、厳しく批判されています。

 そして2012/8/2付記事ではこう述べておられます。

 「大江健三郎が根っからの悪人だとは思いません。
 (中略)しかし、原発問題に関しては、大江健三郎に誠実さや言葉の重みはまったく感じられません。何らかの理由があって1968年から70年代までに反原発に転じたのであれば、その理由を明らかにすべきです。
 自分の言葉に責任を持つこと。それは私にとっては原発への賛否よりも重大な問題です」

 これは立場の違いを超え、とても説得力のある言葉です。
 (奇しくも、先に紹介した3月15日の脱原発集会(動画)で大江氏は「責任」という言葉を連呼しています)

image[140512-03demo.jpg]
[画像は共同通信2012/10/13より]

 脱原発派にも濃淡があって、先ほど書いたように、菅原さんは比較的「淡い脱原発派」のようです。

[7] << [9] >>
comments (18)
trackbacks (0)


<< 止まらない反日教! シンシアリーさん「韓国人による恥韓論」より
「アンカー」妄想が生んだ中国の南シナ海“進出”と『美味しんぼ』問題 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]