大江健三郎が原発推進派だった過去を隠している件&「美味しんぼ」鼻血騒動

2014.05.12 Monday 21:07
くっくり



 また、この方のブログの2011/4/20付記事に、1968年の講演における大江氏の発言の、Wikiにはなかった前段が引用されていました。

 引用元はWikiと同じく「大江健三郎『核時代の想像力』新潮社、2007年」です。

【現に東海村の原子力発電所からの電流はいま市民の生活の場所に流れてきています。それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。それは人間の新しい威力をあらわすでしょう。
 (略)
 核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない】

 どう見ても推進派ですね。

 ただ、菅原さんは、1968年当時に大江氏が推進派だった理由として、こう考察されています。

 「福島第一原子力発電所は1967年に着工し、1970年に試運転を開始した、といえば、先の大江発言の時代背景がおわかりいただけるかと思います」

 なるほど。当時は、原子力は人類にとって夢の新エネルギーだ!ということで盛り上がってたんですね。
 大江氏の発言も、そんな時代の流れに乗っかってのものだったのでしょう。

image[140512-02fukusima.jpg]
[画像は東京電力サイトより着工当時の福島第一原発]

 ですが、先ほども言ったように、福島第一原発の事故(あるいはチェルノブイリの事故や、日本でそれまでに起きていた小さな事故やトラブル)をきっかけに推進派が反対派に転じた例はゴマンとありますし、大江氏も転換したからって誰も責めないでしょう。

 なのに、なぜ過去を隠そうとするの?

 菅原さんも、2011/4/23付記事で同じことを、いや、もっと踏み込んだ形で言われてます。

 「1968年に己が原発推進論者だったことへの反省や、原発廃止後の代替エネルギーをどうするのかという切実な問題について語られていないことが大きな(いや、「大きい」かな)不満です」

[7] << [9] >>
comments (18)
trackbacks (0)


<< 止まらない反日教! シンシアリーさん「韓国人による恥韓論」より
「アンカー」妄想が生んだ中国の南シナ海“進出”と『美味しんぼ』問題 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]