[総理初メッセージ]【続・紀元節】外国人から見た日本と日本人(38)

2014.02.11 Tuesday 00:51
くっくり


■ロマノ・ヴルピッタ=イタリア人。1939年(昭和14年)ローマ生まれ。ローマ大学法学部卒。卒業後、交換留学生として2年間、東大留学。64年、イタリア外務省入省。駐日・駐韓イタリア大使館勤務(一等書記官)。72〜75年、ナポリ東洋大学大学院教授(現代日本文学担当)。75年より、欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。京都産業大学経営学部教授などを歴任。著書に『「不敗の条件」保田与重郎と世界の思潮』(中央公論社)、『ムッソリーニ―イタリア人物語』(中央公論社)など。
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[画像は、2013年の紀元節奉祝式典における講演より]

「正論」2001年4月号「私の写真館」より

 なぜ私は日本に惹かれたのだろう。何か゛天の配剤″でもあったのか……、十九世紀後半、日本と同じようにロシアとの関係に苦慮していたイタリアが、日露戦争に勝利した日本に拍手を送ったことはあまり知られていない。
 それ以来多くのイタリア人が、漠然とではあっても親日感情を抱いてきた。

 私がローマに生まれた翌一九四〇年、イタリアは日本と同盟関係を結んだ。戦前・戦中、イタリア国内では日本に関する情報がかなり一般に出回って、わが生家にも日本関係の書物が何冊かあった。それを手にすることで、私は日本という異国に関心を持つようになったのである。
 何かドラマティックな“日本との邂逅”があったのではないかと尋ねられることもあるが、記憶をたどってみれば、その始まりはごく平凡だったと言える。

■フォスコ・マライーニ=イタリア人。1912年(大正元年)フィレンツェ生まれ。写真家、登山家、人類学者、東洋学者。1930年代後半に来日し、北海道大でアイヌ研究に従事。1943年イタリア降伏後に成立しナチスの傀儡政権であったサロ共和国への忠誠を拒否したため、家族と共に名古屋市天白の収容所へ移送される京都帝国大(現京都大)でイタリア語を、フィレンツェ大では日本文学を教えたほか、87年から88年にかけ、京都の国際日本文化研究センター客員教授。86年に国際交流基金賞受賞。2004年逝去。

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[Serene Bach 2.04R]