小野田寛郎さんのご冥福をお祈りします(同郷です)

2014.01.20 Monday 00:14
くっくり



 「口を開くとどうしても自分がやったことを言ってしまう。『もう少し大人しく口をきけ』と言われる(笑)。日本は平和主義なんだから。日本は急に変わってしまった。ただ僕が遅く帰ってきただけなのに」

 帰国から約1年後、日本に見切りをつけた小野田さんはブラジルに移住。
 「自分はこれだけのことができると示したかった。木を切り倒して開拓した。今だったら環境破壊とか言われるかもしれないですね(笑)」

 小野田さんは自然塾や講演活動を通して子供や若い人たちと接している。
 この6日には、学習院大学学園祭で講演。
 「(若い人たちには)たくましくなってほしいんです」

 Q:小野田さんにとって人生とは?
 「自分が選んだ結果だと思う。人間は運命の生き物。時代が戦争だったからといって、必ず僕のようにやらないといけないわけではない。人間は一人で生きていけない。人を大事にしなければ」

 VTRの後、スタジオでの会話。

 山本晋也曰く。
 「小野田さんは未だに電話番号は1回聞けば覚えるそうです。記憶力のすごさ。陸軍中野学校で鍛えられた。また『負けても死んではならん。何十年経っても迎えに来るから』と言われて、任務を遂行した。小野田さんは1980年に起きた金属バット両親殺害事件に非常に驚いた。日本の子供たちはどうなってるのかと、不安を覚えて自然塾を開いた。火の起こし方など教え、サバイバルな生き方を教えている」

 川村晃司曰く。
 「決してあきらめない精神。金属バット両親殺害事件がきっかけになったのは、日本の戦後がどうなってしまうのかと心配されたからだろう。日本の外交についても何か考え持っているんじゃないでしょうか」

 再度、山本晋也が「欧米では情報員は尊敬される。紳士である」みたいな話をした後、締めにこういう発言を。
 「小野田さんの戦友に対する思いはすごいものがある。一部過激な発言がありましたが、決して小野田さんの『ためにする発言』ではありませんので。いつまでも長生きしていただきたいと思います」

 とまあ、こんな感じで。

 編集で歪曲されるかと思ったけど、テレ朝のわりにはけっこうまともでした。
 ってことは、インタビュー現場ではもっとGJ(テレ朝的にはBJ)な発言があったと見た(^_^;

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