小野田寛郎さんのご冥福をお祈りします(同郷です)

2014.01.20 Monday 00:14
くっくり


 また別の施設を造るということは私たちに対する裏切り行為です。
 とても許されることではありません。
 靖国参拝は当たり前のことであって、あれこれ言う人はもうどうでもいい。
 いやなら参拝は結構だと言いたい。
 そもそも、いろいろなわだかまりがあったから戦争になったのであって、それをわだかまりがないという方に無理があるんですから、綺麗事はどうでもいいのです。
 A級戦犯が祀られているから、という意見を言う人もいますが、あの裁判は占領中に行われたことであり、彼らはその中で命を落とした人たちなのです。
 日本人は亡くなった人に対してそれ以上の罪を憎まないという習慣がある。
 しかし、中国では死んだあとでも罪人のままで、墓まで暴かれてしまいます。
 その中国の価値観をわれわれが受け入れなければならないのでしょうか。
 一度黙って静かにお参りしてみたらどうですか。
 戦争で死んだ人は若い人が多かった。
 肉親が元気な内は手厚く祀ってもらえるが、肉親がいなくなったあとに祀られる場所は靖国しかないのです。
 戦争は国がやったことですから、その責任を国がとるのは当たり前のことなのです。


■2005年8月15日産経新聞 櫻井よしこさんとの対談での発言

 私は、事実をよく見ないで反省する人の反省は、本物でありうるんだろうかといつも思います。
 事実をしっかり見つめて、因果関係も分かって、反省するのは恐らく本物だと思うのですが、事実関係の認識や認定があいまいなままで反省しても、本当の反省とはいえないのではないか。
 情緒的な反省は、情緒的な自己主張につながり、却って理性を忘れて戦争に走る危険性があるのではないか。
 外交でできることをすべてして、徹底的に戦争回避の術を探る努力は、もっと冷徹な目から生まれるのではないかと思うのです。
(中略)
 戦争の悲惨さは伝えなければいけませんが、ただそれだけでは十分ではないと思います。
 戦争とは悲惨なものである。
 じゃあ、戦争しないためにはどこまで我慢できるか。
 その我慢が切れたら結局、戦争になってしまうのです。
 そんなことも考えずに平和、平和っていいますが、そういう人たちは平和を守ることのつらさを真剣に考えてくれているのかな、と思ってしまいます。

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