小野田寛郎さんのご冥福をお祈りします(同郷です)
2014.01.20 Monday 00:14
くっくり
県庁の周りには大勢の人が集まっていて、テレビカメラもいっぱい来ていました。
県民文化会館の前も人がいっぱいで、私は家族や居合わせた人たちとともに、県庁前で観衆に手を振っておられる小野田さんの様子を見ていました。
当時私はまだほんの10歳でしたから、小野田さんという人を、「戦争が終わったのを知らずに30年間もジャングルで苦労した可哀想なおじさん。でも日本に帰れて良かったね」という感じで見ていたんじゃないかと思います。
小野田さんが決して「可哀想な人」ではなく、任務に忠実だった根っからの「サムライ」だったことを知ったのは、だいぶあとになってからでした。
小野田さんの帰国より2年前に横井庄一さんが帰国されています。
横井さんはすぐに戦後日本の暮らしに馴染まれたそうですが、小野田さんはそれが難しかったらしくて(召集された横井さんと違い、職業軍人だったのも理由のひとつ?)、またマスコミのバッシング報道にも悩まれ、帰国後1年ほどでブラジルに移住されました。
が、小野田さんは日本を忘れたり捨てたりしたのではなく、むしろ逆で、日本がどんどんあらぬ方向に流されていっているのをいつも心配されていました。
健全な日本人を育成する目的の「小野田自然塾」を主宰されたり、講演会を行われたり、「日本を守る国民会議」(その後改組されて「日本会議」)の委員としても活動されたり、といったことがそれを証明しています。
以下、拙ブログで過去に紹介した小野田さんの発言語録を再掲します。
在りし日の小野田さんを偲んでいただくとともに、私たち日本国民、特に戦後世代に託された小野田さんのメッセージを、改めて噛みしめていただけたら幸いです。
■2005年6月発売の「週刊新潮」<小泉「靖国参拝」私はこう考える>に寄せられたコメント
私は15年間、靖国神社に祀られていた身分です。
そのままだったら今の日本の姿を知る由もなかった。
国が靖国を護持しないというのなら、それは私たちに対する借金を返さず、未納のままだということです。
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