2013.12.21 Saturday 01:58
くっくり
(前略)米国の要求に応えて、韓国がベトナム戦争に参戦したのは64年。朴氏の父親である朴正煕政権(当時)が、世論の反対を押さえて決断した。以降73年までに、米軍以外では最大規模の延べ30万人以上を派兵。「青龍部隊」「猛虎部隊」「白馬部隊」という先鋭部隊が、激戦区のベトナム中部の海岸地帯に送り込まれ、“拠点防衛”を任されたという。
インドシナでの取材経験が豊富な戦争ジャーナリスト、井川一久氏(79)は“拠点防衛”の実態をこう話す。
「いわゆる『農村無人化作戦』。最初は敵を探し出し、集中的に攻撃する作戦だったが、なかなか降参しないベトナムの武装ゲリラを掃討するため、民間人が住む農村部を攻撃することにした。事前通告して村から離れないものはすべて敵とみなして殺害する。米軍と規模こそ異なるが、韓国軍の手口は残虐さを極めた」
井川氏が取材した海岸地帯のフーカイン省トイホア県では、9つの村落で計約900人が虐殺されたとされる。韓国軍による民間人の虐殺被害者数の全容は不明だが、韓国の雑誌によれば、少なくとも9000人以上との情報がある。
「兵士である男は村にいないので、実際に殺害されたのは女性と子供、そして、老人ばかり。防空壕に逃げ込んだ村民を引っ張りだして片っ端から射殺したり、手榴弾を投げつけたりした。生き残った村民からは『韓国軍は事前通告をしなかった』という証言も得た」(井川氏)
残虐方式にはパターンがあり、「子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して、火に投げ込む」「妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける」など、筆舌に尽くしがたい生存者の証言内容が、韓国の雑誌などで報告されている。
韓国軍による慰安婦問題もベトナム戦争の傷跡として重く残る。
井川氏は「韓国軍や韓国の民間人は、村を追われて戦争難民であったベトナム人女性を『売春婦』に仕立てた。これは事実上の強制連行といえる」と強調。当時、南ベトナムの至る所に韓国人経営の性的慰安施設があり、戦闘地には軍人専用のものがあったという。
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