【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)

2013.12.03 Tuesday 00:23
くっくり


■ブルキフ・ルビス=インドネシア人。日本軍の訓練を受け、祖国防衛義勇軍として独立戦争に参加。元陸軍大佐。
「明日への選択」平成17年9月号より

 大東亜戦争が契機となってアジアからアフリカまで独立しました。
 日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思います。
 大東亜戦争中の日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。

■ヴィセンテ・カマチョ=サイパン生まれ。2013年8月現在84歳。市議会議長も務めた。
産経新聞 2013年8月13日付より

 「サイパンでは日本人と(現地の)チャモロ人は仲良く暮らしていた」。サイパンで生まれ、市議会議長も務めたヴィセンテ・カマチョさん(84)は、流暢(りゅうちょう)な日本語でかつての日本統治時代を振り返った。

 サイパンの中心街ガラパンには当時、日本の商店が立ち並び、にぎわっていた。「多くの日本人が暮らしていた。みんな親切だった」。カマチョさんは小学校に入学すると、当時の現地の子供がみなそうだったように、日本語を学び、日本人の友達とよく遊んだ。

 やがて島でも戦闘が始まり、家族と郊外に避難。米軍の雨のような砲撃に、生きた心地がしなかった。「何もかもなくなってしまった。戦争は本当に怖い」

 戦後、島から日本人はいなくなったが、今も「日の丸」の唱歌を歌える。「スギヤマ先生、ミヤオ先生、スガヌマ先生…」。当時の恩師との思い出も尽きない。特に「嘘をついてはいけない」という教えが強く印象に残っているという。

 カマチョさんは言う。「日本人は勤勉で実直だった。だからこそ、日本の先生に教えてもらったことは忘れられない」

■タキン・オンサン(アウン・サン)=ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家。「ビルマ建国の父」。日本の「南機関」のもとでビルマ独立戦争のための訓練を受けた。
日本会議DVD「独立アジアの光」より
※ビルマ独立運動を支援し、ビルマ独立義勇軍の誕生に貢献した「南機関」機関長の鈴木敬司大佐に対し、次のような感謝状を同志たちとともに送った。

image[120202-01kanshajou.jpg]

 我らは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。将軍のビルマ国への貢献は、いつまでも感謝される。たとえ世界が滅ぶとも、我らの感謝の気持ちが滅ぶことはない。


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