【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)

2013.12.03 Tuesday 00:23
くっくり


■アブドル(アブドゥル)・ハリス・ナスチオン(ナスティオン)=インドネシア人。スカルノ内閣で国防相を務めた。スカルノからスハルトへの政権委譲の過程では、暫定最高国民協議会 (MPRS) で議長を務めた。
「明日への選択」平成17年9月号より

 独立できた要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。植民地体制の粉砕なくして独立はありえません。
 第二は日本軍の猛烈な軍事訓練です。オランダ軍はやってくれませんでしたし、我々自身がやろうと思ってもできるものではありません。
 日本軍時代の三年半でインドネシア人はすっかり変わったが、こんなに変わったことをイギリス軍やオランダ軍はわかっていませんでした。

■モハメッド・ナチール=インドネシア人。元首相で、世界イスラム教徒会議副議長を務めた。
「明日への選択」平成17年9月号より

 大東亜戦争が起きるまでアジアは長い植民地体制下に苦悶していました。そのためアジアは衰えるばかりでした。アジアは愚かになるばかりでした。だからアジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
 大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

 日本軍は有言実行でした。
 その第一は植民地政治の粉砕です。第二は祖国防衛義勇軍を組織したことです。第三はインドネシア語の普及です。第四はイスラムの団結をはかったことです。第五はスカルノやハッタをはじめとした行政官の猛訓練です。第六は稲作及び工業技術の向上です。

■サンパス=インドネシア人。日本軍の訓練を受け、祖国防衛義勇軍として独立戦争に参加。元陸軍少将。元復員軍人省長官。
「明日への選択」平成17年9月号より

 日本軍がやった基本的なことは、すなわち最も大きな貢献は、我々に独立心をかきたててくれたことだ。そして厳しい訓練を我々に課してくれたことだ。
 日本人はインドネシア人と同じ様に苦労し、同じ様に汗を流し、同じ様に笑いながら、我々に対して“独立とは何か”“どういう苦労をして勝ちとるものか”を教えてくれた。
 これはいかに感謝しても感謝しすぎることはない。これは祖国防衛義勇軍の訓練を受けた人が残らず感じていることだ。


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