【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)

2013.12.03 Tuesday 00:23
くっくり


 日本がその役割を果たすためには、西欧帝国主義と決別しない限り不可能であった。その待望の時期はついに1941年12月、日本が敢然、米英に対し決裂の運命的宣言をし、生か死かの闘争に突入した時に訪れたのである。

(中略)私は東亜に帰って、インド独立連盟の任務に入って以来、日本と密接な協力のもとに活動しているが、もし日本の誠意に疑わしい節があるなら、私のような民族主義者、革命家にとって日本との協力は絶対に不可能であったはずである。大東亜会議は日本の誠意と真実を確信させるものであった。
 しからば重慶の諸君は、今日、何者と戦っているのか。重慶の諸君は、敵と手を組み、味方と戦っているのではないか。 諸君はしばらく休息し、熟慮し、しかして、決意する用意はないか。

○ジャワハルラール・ネルー=インド人。独立運動の指導者・社会主義者・著述家。1947年(昭和22年)のインドとパキスタンの分離独立後、インドの初代首相となった。
「岸信介の回想」(岸信介他)より
 1957年(昭和32年)、岸信介首相がインドを訪問した際の歓迎演説会での演説(大意。「正論」08年3月号掲載 福田和也「悪と、徳と」第40回より孫引き)

 今、ここに日本の総理を迎えている。
 諸君は、日本という国を知っているか、地図を開いてみろ、アジアの端っこにある小さい島国が日本である。
 しかし自分は今日インド独立の大望を達して、インドとして独立したけれど、自分が独立の志を固めたのは日本のおかげである。

 自分はインドを独立させようと思ったけれど、アジア人はヨーロッパにはかなわないという観念が底にあった。
 ところが、このアジアの小国日本が世界最大の陸軍国であり、強大なる軍事大国であるロシアと戦って、これをやっつけたのだ。
 われわれの決意と努力によってわれわれの望みは達せられる、自分は何度も投獄されたけれど、その度にそういう決意を固めたのだ。

○パラバイ・デサイ=インド人。弁護士。インド法曹界の長老。
戦後、日本とともに英国と戦ったインド国民軍2万人が、戦勝国の英国によって軍事裁判にかけられ、大騒ぎになった時、主席弁護士を務めたバラバイ・デサイ博士は、無罪と即時釈放を主張するとともに、日本軍関係者についてこう語った

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