2013.10.28 Monday 18:54
くっくり
渡部
そのアカデミズムの支配はどうして起こったのか。東京裁判の翻訳官だった横田喜三郎が東京大学法学部で国際法の教授になり、彼の説が権威となってしまいました。憲法学の権威は、当初の押し付け憲法説から宗旨替えした宮澤俊義でした。横田や宮澤の説を受け入れない限り、いかに優秀であっても大学の教師にも外交官にもなれない。
小堀
そうですね。私も横田喜三郎が東京裁判史観を権威化させた元凶であると考え、そのように書いておりました。ある時、外務省の官僚から「あなたの意見は本当にそのとおりだと思う。実は、自分も横田喜三郎教授の国際法の講義を受け、そしていま外務省の官吏として勤めている。その頃からおかしい、おかしいと思っていたけれど、今になってつくづく自分の受けた害毒を痛感しているが、どうにもならない」という電話がかかってきました。
渡部
小堀さんが真っ当なことを言い続けてこられたのは、独文科だからですよ。法学部で先生が横田喜三郎や宮澤俊義だったら、とても東京大学には残れなかったでしょう。
伊藤
私は彼らとも非常に関係があるのですが、弟子たちは自由ですよ(笑い)。私に言わせれば、裁判の判決が歴史解釈となるような学問があること自体、おかしな話です。東京裁判は戦争の勝者による一方的な裁きであり、判決はいわば敗者への復讐のための理屈に過ぎません。それを歴史解釈の「正解」としてしまうのは、学問的良心に照らしてあり得ないでしょう。
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