日本よ、これが「太平洋戦争」だ
2013.10.28 Monday 18:54
くっくり
(中略)この呼称は、1941年以後に限定するのではなく、1931年から1945年までの戦争の総体をさす広義の概念として使われています。
その根拠は、戦闘の時間や空間に限定をせず、日本と植民地や占領地との関係をしっかりと見据え、さらに戦時だけではなく、戦後のなかでも補償や責任、和解などの問題が依然として続いていることを意識した用語であるからです。
戦争の呼称は、このように言葉の問題を超え、戦争の性格をどのように理解し、未来に向き合うかを中心に議論されてきました。
このような根拠からアジア・太平洋戦争という呼称を使っています】
この回答に対して投稿主の方は当然ながら憤慨され、このように主張されています。
「これが莫大な税金を使って運営されている国立博物館の回答だ。
あの戦争は大東亜共栄圏を目指した日本の侵略戦争だったから大東亜戦争という言葉はよくなく、植民地や占領地、戦後補償などの問題も考えてアジア・太平洋戦争という言葉がふさわしいと言っているようだ。
当時使っていた言葉をあとから思想・信条・解釈によって否定し、別の言葉に言い換えることが、果たして歴史研究として正しいのか疑問だ」
ほんと、その通りです。
私も博物館側の回答を読んだ時、ああ、これは自虐史観丸出しの文章だと思いました。
特に、戦争の呼称と戦後補償などの問題は全く別の次元の話でしょう。
なのに、なぜ呼称にそのことを織り込まねばならないのか。
そして、この投稿に対し「正論」編集部からはこう添えられていました。
「日本の歴史学界、特に近現代史の分野はいまだに『講座派』の流れをくんだバリバリの左翼が牛耳っています。『アジア・太平洋戦争』という呼称もその連中の造語です。彼らは師弟という逆らうことのできぬ関係を通じて左翼イデオロギーをもった研究者、教育者を次々に育成しています」
左翼イデオロギーに染まった歴史学界、これは本当に深刻な状態です。
かつて拙ブログでも紹介しましたが、「正論」2012年7月号掲載の鼎談で渡部昇一さん・伊藤隆さん・小堀桂一郎さんが、こんな話をされていました。
小堀
先ほど渡部さんも触れられた、東京裁判史観を日本に固定させているのは、いったい何かという問題です。結論から言えば、私はアカデミズムだと思います。つまり、東京裁判史観が日本のアカデミズムを支配している。私の身の回りにも私と同様の歴史観を身につけている若い研究者が何人かいますが、東京裁判史観を批判するような考えを述べると、先輩が「君の言うことはよく分かる。自分も同感だ。しかし、それを学会で言ったりするなよ。そうしたら就職できなくなるぞ」と注意するそうです。これが非常に分かりやすいアカデミズムの支配ということなのです。
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