靖國神社は明るくて暖かい場所&ケリー氏ら千鳥ヶ淵献花の真意は?
2013.10.05 Saturday 02:15
くっくり
彼らの犠牲を無駄にしないで、我々も共同体の維持のため貢献しなければならないという義務を感じ、必要とあれば、我々も命を捧げる覚悟が生まれてくる。
靖國神社のような場所に立つと、殉国した人々に思いを寄せると同時に、無意識にもこの覚悟が再確認されてしまう。共同体の構成員がこの覚悟を持つようになると、共同体は国家となる。だからこそ、国のため命を捧げた人々を祀ることは国家の道徳の原点である。
「祀る」とは当然、「弔う」とは違う。弔うとは人の死を悲しみ悼むことである。祀るとは神として崇(あが)め、その神霊を慰めることである。英霊に関する儀式は、どの国でも、たとえ具体的な宗教と無関係であっても、“宗教的な色合い”を帯びている。政教分離どころか、英霊の崇拝の原理は、どの国でも、どの時代でも祭政一致である。
image[1003.yasukunimono.jpg]
<世界無双の名所>
幼い時の私に、母は「戦死者は血の洗礼を受けたことで、すべての罪は許され、天国へいきます」と、常に言い聞かせた。それを教えられた私は安堵した。父はたしかに天国にいると。「血の洗礼」とは何の根拠もないことではあるが、イタリアの国民の間に広く信じられていることである。
そこに「戦没者は超越的な存在である」という無意識的な観念が働いているだろう。天国へ行ったというだけで、戦死者は宗教的な意味で聖者ではない。しかし、宗教的な教義の理屈をさて置き、天国へと上昇した魂は聖者と同居し、聖者に近い存在であろう。
したがって、日本人が英霊を「神」として崇めることはごく自然なことではなかろうか。この信仰は宗教であると言っても間違ってはいない。宗教以前の宗教観である。
世界の戦死者を祀る施設のなかでも、靖國神社は特別な存在である。たとえば、アメリカ合衆国のアーリントン国立墓地は一部の戦死者の遺骨が実際に安置されている墓地である。フランス、イタリアなどの無名戦士の記念物は、すべての戦死者を代表する一人の無名の戦没者の遺骨が安置されている。
ところが、靖国神社は墓地でもなく、抽象的な記念物でもない。そこには祖国に命を捧げた人々の御霊が宿っている。墓地のうす暗さもなく、記念物の冷たさもなく、明るくて暖かい場所だ。日本人の死後の世界の観念を表現する世界無双の名所である。日本人が誇りにすべきところである。
[7] << [9] >>
comments (11)
trackbacks (1)
<< 「アンカー」消費税8%引き上げで演技した安倍総理&メタンハイドレート最新情報
「たかじん委員会」共産党SPで触れられなかった事実…共産党はかつて改憲を目指していた >>
[0] [top]