慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか

2013.07.27 Saturday 03:31
くっくり



 戦前、戦時中の朝鮮を体験的に知る者として、また昭和17年から総督府に勤め、終戦を総督府の農商局の事務官として迎えたが、その間の1年7ヶ月間の地方勤務では、郡、邑面行政という末端行政を管理する立場で過ごした体験等を基にして率直に述べると、慰安婦にするための朝鮮人婦女子の強制連行は一人もなかったと確信をもって言える、というのが私の心情である。

 婦女子の強制連行がなかったと思う根拠の第一は、もしも婦女子の強制連行があったとすれば、その目撃者は強制連行された者の何倍もいたはずだし、いかに戦時中であっても大きな抗議運動が展開されて当然であるはずだが、目撃証言も抗議運動も一切なかった事実である。現実には92(平成4)年1月の宮沢内閣による謝罪までの、戦後47年間、韓国国民からも韓国政府からも、慰安婦問題についての抗議や問責などは一切なかったし、65(昭和40)年の日韓基本条約交渉の時も、これが話題にされることもなかった。強制連行の事実があって、なおこのようなことが考えられるであろうか。

 根拠の第二は、戦時中の総督府の施政姿勢である。内鮮一体を唱え、戦争遂行に大きな協力を求めていた総督府の頭脳が、施政に当たって最も気を遣っていたのは民心の動向であり、処遇において朝鮮人と内地人を差別してはならぬ、というのは施政の基本であった。このような雰囲気のなかで、日本人と差別をして朝鮮人婦女子だけを強制連行することなど、全く考えられぬことである。

 総督府首脳には苦い経験があった。29(昭和4)年の秋、発端は内地人中学生と朝鮮人中学生の小さなもめ事であった。光州(全羅南道)への汽車通学中に内地人中学生が朝鮮人女学生をからかったということから始まった。女学生の兄が、からかったという内地人中学生に「お前、何で俺の妹をからかったんだ」と詰問し、喧嘩になった。喧嘩はそこで終わらず、朝鮮人中学生と内地人中学生の小さな集団による喧嘩にまで発展した。警察は関係者を連行して取り調べたが、その際、内地人学生と朝鮮人学生の取り扱いに差別があった、ということで光州の朝鮮人中学生(当時は高等普通学校)が抗議行動を展開した。この抗議行動が光州で留まらず、間もなく全朝鮮の朝鮮人中学生の抗議行動に拡大した。この予想外の展開は総督府首脳を慌てさせたが、これは「理の通らぬ民族的な差別扱いには敏感に反応する民族性」を強く印象づけた事件であった。

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