“遺棄化学兵器”問題で旧日本軍兵士の証言
2006.09.04 Monday 00:53
くっくり
(09/03 12:15)
この記事は産経新聞のオピニオン面(識者の論文や読者投稿が掲載される面)に載っていたものです。なので、特別に何か新たな動きがあったとか、そういうわけではありません。
記事にある「中国側が遺棄化学兵器が大量に残っていたと主張しているハルバ嶺近くの敦化で、化学兵器(毒ガス兵器)をソ連軍に引き渡したという元日本軍兵士の証言」が、今月号(10月号)の雑誌「正論」に掲載されています。
問題スクープ第5弾【中国“遺棄化学兵器”問題】
<私は化学兵器を確かに引き渡した
――旧日本軍兵士の証言(聞き手/本誌 喜多由浩)>
重要と思われる箇所を抜粋、要約してご紹介します。
(太字は引用者によるものでなく、誌上でもともと強調されている箇所)
内容紹介ここから_________________________________
【石頭の元予備仕官学校生(軍曹)、二本柳茂さん(81)=新潟市=の証言】
※二本柳さんは昭和19年9月に召集され、北海道・旭川の歩兵第26連隊に入隊(二等兵)。10月、満州へ渡り、佳木斯(チヤムス)の独立歩兵第266大隊へ。20年5月、甲種幹部候補生となり、牡丹江省石頭にあった予備仕官学校で訓練の日々を送っていた。そこは中国全土から最後の幹部候補生をかき集めた事実上の部隊で、3600人の6個中隊で編成されていた。
●終戦前には、満州の石頭にあった予備士官学校にいた。当時すでに、敗色が濃かった南方戦線などでの実戦部隊を作るために、中国全土から3600人がかき集められた。昼は、対ソ戦に備えて戦車攻撃の訓練、夜はジャングルの中での忍者戦術と自爆の訓練を毎日、繰り返していた。訓練を終えると、少尉に昇進して、南方へ行くという話だった。
●昭和20年8月9日のソ連軍の満州侵攻、その日の朝、中隊長からそのことを聞き、ハチの巣をつついたような騒ぎになり、出動準備に追われた。3600人の6個中隊は2つに分けられ、半分は牡丹江へ、我々は東京城へ徒歩で向かうことになった。後に、牡丹江へ行った1800人はソ連との戦闘で、ほぼ全滅したと聞いた。
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