三輪宗弘先生の「大韓民国の物語」書評で改めて見えた韓国の民族主義と李栄薫教授の苦悩

2013.06.15 Saturday 02:48
くっくり


 「歴史随想」で一冊の本を紹介したかった。『大韓民国の物語ー韓国の「国史」教科書を書き換えよー』(永島広紀訳、文藝春秋、二〇〇九年)です。学術書でないという理由から、この書物のすばらしさが日本で不当に低く評価されるのではないかと思ったからです。李栄薫(イ・ヨンフン)教授が抑制に抑制を重ね、筆を進めなければならなかったことが、日本の読者に一体どの程度理解できるのだろうかと一抹の不安を感じたからです。高邁かつ知的レベルの高い著書が少しでも多くの読者の目に留まり、隣国で何が起こったのか、我々は知るべきだと思いました。何よりも筆者自身がこの本に、いや李栄薫の知性と勇気と自由な発想に敬意を払いたかった。

 三輪先生は李栄薫教授を本当に買っておられる様子で、このようなことも述べておられます。

 偽りの歴史で過去を清算し、断罪するようなことがまかり通る国には未来はないという、韓国に対する愛国心が満ち溢れています。愛国心というよりも危機感というほうが的確なのかもしれません。これは視野狭溢な国家主義者、民族主義者には李栄薫の葛藤や憂いは理解できないでしょう。

 そんな李教授は自身の「役割」をどう心得ているのか?
 それはこの箇所に集約されています。

 過去の記憶を求めて多くの方の話を聞く李栄薫は、その大切さと同時にあやふやさを知悉するがゆえに、歴史家が一般大衆の集団記憶に埋もれてはならないと警鐘を鳴らし、「歴史家は一般大衆の集団記憶が政治的に企画され操作されうることを、史料に基づいて一般大衆に知らせる専門的な職業です」(七四〜七五頁)と指摘します。

 「一般大衆の集団記憶が政治的に企画され操作されうる」……これは日本でも見られる傾向ですよね。

 日本国民は敗戦後、占領軍により自虐史観という「集団記憶」を「政治的に企画され操作され」ました。
 その影響は現在も色濃く残っています。

 「あの戦争は日本の侵略だったのか?」と疑問を呈したり、「日本軍以外にも慰安婦はいたし、今も紛争地に慰安婦は存在する」と事実を言っただけでも(国際社会ではともかく日本国内でも)叩かれる現状を見れば、それは明らかです。

 さて、民族主義の嵐が吹き荒れる韓国という国で、李栄薫教授がどのような境遇におかれているかについて、三輪先生はこう説明されています。

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