週刊新潮「中韓を煽った朝日『靖国社説』変節60年」
2006.09.02 Saturday 02:12
くっくり
●マスコミによれば、元長官が「死後は日記帳を柩に入れて焼却する心づもり」と語っていたという人もあるが、夫人は真っ向から否定。仕事のことだけでなく家族の動静についてこれほど詳しく書いたものを柩に入れるつもりだったはずがないという。富田氏が夫人にその旨言い残した事実もない。特に在り処を秘匿していたわけでもなく、寝室の枕元の戸棚を日記帳の置き場と決めていたから、夫人は年を追って日記帳が増えていくのを楽しみにしていたらしい。
●日記帳はさておき、ゴムで括った手帳のほうは殆ど手をつけずに同じところに放置してあったのを、そのまま記者に渡したという。メモについては用紙もバラバラで扱いにくかったため一度も読んだことはなかったそうだ。内容を知らぬまま渡したその束の中に、話題となったメモがあったものと思われる。
●若き日に津田塾の専門部で学んだというこの才媛が、無分別に日経のI記者に膨大な日記帳を渡したとは思えないが、結論として経緯は呆気ないほど簡単であった。富田氏が長官が退職したあと、取り巻きの新聞記者の足はぱったり途絶えた中、I記者は特別の用事もなく富田氏のを訪ねてきて四方山話を交わし、のちに富田氏が病に倒れたあとも絶えず気にしていたばかりか、葬儀のみならず一周忌にも参列。ビジネスを離れて富田氏と心のつながった人だったらしい。夫人としても当然のことながら情がわいたにちがいない。彼がいったん地方に転勤して再び本社勤務になったと挨拶にきたときに、こんなものがあるが…とさして深い考えもなく日記帳を貸したという。実直なタイプの記者にとって、これが思いも寄らぬスクープにつながったのである。
●日経の記事が出た直後、上坂さんと面会する前に、夫人が上坂さんに宛てた「質問状」には鋭いものがあった。概略次のような内容。
・いまになってA級戦犯の戦争責任を追及するという人がいるが、すでに刑を受け入れて処罰された人の責任を、60年も経ってからどうやって再検討するというのか。
・たしかに中韓は日本に内政干渉する資格はないけれど、このままだと21世紀が暗いものになる。子供の喧嘩みたいになじりあっていても事はおさまるはずがない。どうすればいいか、国も個人も知恵を絞って歩み寄りの道を考えるべきではないか。
・日本としては中国に向かっていいたいこともあろうけど、それよりもまず国内の論点の乱れを整理すべきだろう。日本のコンセンサスをととのえるのが先決で、外国に向かってもの申すのはそれからだ。
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