250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より

2013.05.06 Monday 19:49
くっくり



 「日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう」

 「この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである」

 「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に述べたことから十分にお分かりいただけよう。そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」


 ところで、朝鮮通信使の中には、残念ながら素行の悪い者も少なくありませんでした。

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【朝鮮聘礼使淀城着来図の一部『鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使』】

 金仁謙の一つ前、第十次朝鮮通信使の曹蘭谷の『奉使日本時聞見録』には、名古屋人が通信使のために、布団や蚊帳などを揃えようとしたところ、対馬の通訳が「朝鮮人はよく盗んでいくので知り置くように」と止めたことが記載されています(1748年6月24日)。

 通信使一行が、文化の違いや日本人に対する侮りから引き起こした乱暴狼藉は、概ね次のようなものだったようです。

・屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする。
・酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す。
・席や屏風を割る。
・馬を走らせて死に至らしめる。
・供された食事に難癖をつける。
・夜具や食器を盗む。
・日本人下女を孕ませる。
・魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求する。
・予定外の行動を希望して拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかける。

 特に、警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばあり、1764年には対馬藩の通訳が、通信使の一人・崔天崇を刺殺するという事件まで起こっています。

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