250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より

2013.05.06 Monday 19:49
くっくり



 その一方で、金仁謙は、大阪や京都よりもさらに繁栄した江戸の街の様子に驚嘆し、こう述べています。

 2月16日 品川→江戸
  楼閣屋敷の贅沢な造り
  人の賑わい男女の華やかさ
  城壁の整然たる様 橋や船にいたるまで
  大阪城 京都より三倍は勝って見える
  左右にひしめく見物人の数の多さにも目を見張る
  拙い我が筆先では とても書き表せない

 話は大阪に戻りますが、淀川での記録の中に、さらに興味深いくだりがあります。

  河の中に水車を設け 河の水を汲み上げ
  その水を溝へ流し込み
  城内に引き入れている その仕組みの巧妙さ
  見習って造りたいくらいだ

 水車の機構の見事さに、いたく感服したようです。

image[1305-05yodo.jpeg]

「ぐうたらたぬき途中下車」様より「淀川瀬水車旧跡」碑。すでに12世紀末の史料に「淀の川瀬の水車」という記述があるそうです】

 他に、金仁謙一行は、対馬で食べたサツマイモの美味しさに感激し、種芋を乞うてサツマイモを朝鮮半島に持ち帰っています。

 これにより、サツマイモが朝鮮半島へ初めて伝わりました。
 サツマイモ伝来は、後に朝鮮の飢饉を救うこととなります。

 ちなみに、同時代に日本を訪れた他のヨーロッパ人も、日本の豊かさや文化の発展ぶりを記録を残しています。

 たとえば、金仁謙より約10年後の1775年に来日したC・P・ツュンベリーの『江戸参府随行記』には、このような記述があります。

 「地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない」

 「その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない」

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