250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より
2013.05.06 Monday 19:49
くっくり
四百里六十州を朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳を持って
礼節の国にしたいものだ
ここでも「犬にも等しい輩」と日本人を大いに侮蔑しながらも、日本の豊かさや安定、それに天皇の存在を羨んでますね。
ちなみに、金城湯池(きんじょうとうち)の「金城」とは防備の堅固な城壁、「湯池」とは熱湯の沸きたぎる濠。
他から侵略されない極めて堅固な備えをたとえたものです。
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【1799年刊行『都林泉名勝図会 巻1』より四条河原夕涼 其一】
その後、金仁謙一行は名古屋にやって来ます。
名古屋でもやはり「街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。凄い」「朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べるととても寂しい」といった記述が見受けられます。
他に、日本人の容姿についても記されています。
2月3日 名古屋
人々の容姿のすぐれていることも 沿路随一である
わけても女人が 皆とびぬけて美しい
明星のような瞳 朱砂の唇 白玉の歯 蛾の眉
芽花の手 蝉の額 氷を刻んだようであり
雪でしつらえたようでもある
人の血肉をもって
あのように美しくなるものだろうか
趙飛燕や楊太真が
万古より美女とのほまれ高いが
この地で見れば 色を失うのは必定
越女が天下一というが
それもまこととは思えぬほどである
これに我が国の衣服を着せ
七宝で飾り立てれば 神仙鬼神もさながらと
恍惚感いかばかりだろう
趙飛燕は前漢成帝の皇后(?〜紀元前1年)、楊太真は日本でもおなじみの楊貴妃(719年〜756年)です。
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【「隅田川風物図巻」(日本橋部分)。江戸中期・18世紀中頃】
その後、金仁謙一行はついに江戸に入ります。
実は、第十一次朝鮮通信使の目的は、徳川家治(在職1760年〜1786年)の将軍襲職祝いでした。
ところが、金仁謙は「犬にも等しい倭人に拝礼するのが苦痛である」と将軍との謁見を拒み、一人宿舎に残ったそうです。
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